ミラノサローネ2017 (7) 「メディア、編集、テクノロジー」

イタリアはイースターから25日までの戦勝記念日、場合によっては5月1日まで非公式GWという感じなので、結構、最近のリズムはゆるいです。先日は、サテリテの20周年記念の展覧会を再度見てきました。あるジャンルの作品に絞り、デザイナーによってどうバリエーションが違うかをみてきました。誰がどういうバックグランドかということを個々にチェックしているわけではないですが、おかれる空間の設計から関わる人と、それに関わらない人ではプロダクトデザインの出来は違うなあ、ということを考えながら眺めていました。建築家とよく話すのですが、建築家とインテリアデザイナーの違いとして空間にみえるのは、建築家の方がより三次元的に考えられていることが多い、ということです。比喩としてはちょっと的はすれなのですが、インパクトの距離という観点でいうと、アーティストの作品とデザイナーの「アート風作品」の差ほどにあるのですね。似て非なるもの、という表現の一つの適用例になります(当然ながら、逆の立場から同じことが言えます)。

さて、このイタリア版GWの前に『デザインの次に来るもの これからの商品は「意味」を考える』のもろもろの作業が終わり、明日、無事に発売のはこびになりました。で、雑誌の連載などまだまだ書かなくてはいけない原稿はあるのですが、少々インプットが欲しくなり、高橋幸治さんの『メディア、編集、テクノロージ』を読みました。デザイン思考というデザイナーの思考に汎用性があるものとするならば、編集思考も同様のことが言える、との趣旨を読んで「そうか、デザイン思考の功績は、エキスパート思考が他分野に普及する確信を多くの人に与えたことなのか」と思いました。ぼくも新著のなかで、医者は人間の生活をバランスよく見る、という見方のエキスパートであり、歴史家は時代による浮き沈みを公平な目でみるプロである、ということを書きました。しかし歴史家の考え方は「教養」という範囲で捉えられるのが一般的なところ、IDEOはデザイン思考を「ビジネス素養」まで飛距離を伸ばしたわけです(もちろん、ビジネス素養よりも教養の方が強い、というのが本当のところですが)。

編集の力といえば松岡正剛さんの編集工学を思い起こすのですが、あらためてサイトで趣旨を読んで思うのは、松岡さんよりも高橋さんの方が「非編集者」への普及に想いが強いなあということです。松岡さんが編集の力という存在を認識させたのに対し、高橋さんは、その力を特殊能力としてではなく、一般の人たちが使いこなすにはどうすれば良いかに心を砕いている。これはデザイン思考がデザイナーの枠を越えてビジネスパーソン向けに適用したとの同様のパターンを編集でも考察すべきではないか、という提案になっているわけです。したがって編集の専門学校で教えるテクニックではないところに焦点を絞る必要性を感じているのですね。

それにしても、何か縁があるなあ、と思います。何がって、ぼくの本では意味のイノベーションについて書いていて、ものすごく久しぶりに読んだ松岡さんのサイトに以下のようなフレーズがあります。

21世紀はこれらの情報群を「意味」のために問いなおし、そこに新たな「方法」を組みこむための徹底編集に向かう時代です。国も企業も地方も学校も、情報と知識を編集的に組みなおし、新たな意味と価値をさぐるべく 意味を工学する必要が出てきています。21 世紀は「方法の世紀」なのです。

編集工学はこうした渇望に応えるために生みだされてきました。編集は新聞や雑誌や映画などのメディア用にあるとはかぎりません。社会と市場に絡まっている膨大な情報群から、大小の意味をプロセス別に仕分け、そこから 必要な価値を見いだす方法なのです。

<中略>

編集工学研究所は、来たるべき「意味の市場」の先端を見据えます。そして、日本が取り残してきた課題を果敢に拾っていきたいと思います。

なるほど、です。編集工学におけるキーワードは「意味」だったのですね。ぼくの本では、世の中はコンテクストの解釈より成立し、そこで意味が生まれるというわけで、解釈と意味がキーです。で、高橋さんの本も、解釈にものすごく力を入れています。一方、欧州のビジネス文化のこの数十年の流れをいうと、解釈→過剰解釈へ距離をとる→解釈の再評価 というところだと思うのですが、解釈の受け皿というか土壌の豊穣具合が、意味が「豊穣かどうか」に繋がっていくのでしょう。

因みに、ミラノサローネに関するぼくのこのブログは、解釈と意味を問うてきたのですが、そのサローネ解釈のためのベーシックな情報をあらためてサンケイビズの連載に「人とは何か」を常に思考の真ん中に サローネで再認識したこと として書いておきました。高橋さんの本を読んでいても感じたのですが、「Human 」と「User」 と「人間」との三つの言葉の間には溝があります。これが解釈や意味を論じる時に、差として浮上してきます。

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Category ミラノサローネ2017 | Author 安西 洋之