ミラノサローネ2017(3)  ロマンティックなデザイン

ファブリカ・デル・ヴァポーレで開催されているサローネサテリテ20周年の展示会は、期待以上でした。しっかりとお金をかけ、展示の仕方も(高い段に置かれた作品を見にくいけど)気が利いています。まだ見本市会場が市内にあった20年前のサテリテを思い出すと、学生のロックな感じの展示が多く、量産に至るまでには気の遠くなるようなプロセスが必要、という類ばかりでした。どちらかといえば、若いエネルギーや「ものの考え方」の面白さを見せる場という色彩が濃かったです。それがこの10年くらい量産化を見据えたような作品が主流になり、性格がずいぶんと変わりました。また20年前には今のように中国、南米、東欧の学生や若手デザイナーなどもめったにいなかったと思います。デザイン教育の世界均質化を、このサテリテの20周年でまざまざと見せつけられます。

こうやってみると、ここから沢山の才能が出たことが分かります。ただ、このサテリテで最初に展示したデザインがそのまま量産として市場に出回るというより、サテリテで多数の人の反応や意見あるいは刺激を受けたことで、その後に活躍の道を切り開いた、というパターンが圧倒的に多いでしょう。若手登竜門のチャンスが限定されていたがために(20年前はフオーリサローネもスタートしたばかりの時代であり、多くの注目を集めるための場はサテリテくらいしかなかった)、結果的にサテリテ経由で多数の才能を輩出した、ということになります。

もう一つ、気づいたことがあります。20年前頃は「デザインは問題解決である」ということが学生の間にどれほど定着していたか知りませんが、いわゆるアイデア勝負を前面に出していた。「こうすれば、こういう問題が解決できますよ」というアイデアが満載。それがロックな感じでもあったのですね。しかしサテリテに限らず、今回のフオーリサローネを見ていて感じるのは、ロマンティックなデザインが増えている、ということです。今回、ぼくは「意味のイノベーション」という観点でデザインを見ており、同じジャンルのなかで傑出する意味をもたらす試みをしているかどうか?と考えています。ロマンティックというのは、簡単な比較をすれば、「問題解決を第一に考えていない」ということで、これは「問題解決ばかりに頭を使うのはもうウンザリ」という方向の表れではないか、と思います。もちろん、かといって「意味のイノベーション」に値すると言えるものは殆どないわけですが、少なくても問題解決とは違う方向に意識的にデザインする、という転換期にあるのは確かではないか、との想いを強くもっています。

サテリテ20周年の展覧会を建築家の芦沢啓治さんとまわった後、一緒に食事をしながら彼が語ったことで印象に残った言葉があります。彼とは10年くらい前のサテリテのスタンドで知り合って以来の付き合いですが、「問題解決だけがデザイナーの仕事ではない」と語りました。ぼくも数年前に「アートは問題提起で、デザインは問題解決」という区別をしていましたが、デザインがあまりに問題解決だけにとどまっているのもどうかな?と考え始めていました。実は、今月に出る新著、「デザインの次に来もの」では、問題解決と意味のイノベーションの両輪の重要性を書いているのですが、EUの2010年からのイノベーション政策におけるデザインの方向として、デザイン思考(=問題解決)とデザイン・ドリブン・イノベーション(=意味のイノベーション)の両方を定着させていくことを目指しています。これは政策上のレベルだけではなく、人々の気持ちとして「人は問題解決のために生まれてきたのではなく、意味の探索を行うために生まれてきた」(ベルガンティの「Overcrowded」の一節)との欲求を真正面から受け取るようになってきたのではないかと思うのですが、ここで前回書いた、「Human」と「人間」の差というテーマが浮上してきます。明日、ベルガンティの講演を聞いて考えたことをまた記します。

 

 

 

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Category ミラノサローネ2017 | Author 安西 洋之