岸由二/柳瀬博一 『「奇跡の自然」の守りかた』を読む

大学生から社会人になりたての頃、つまりは1970年代末から1980年代半ばくらいまで、三浦半島の先端、油壺によく行きました。ヨットハーバーのシーボニアに出かけたのです。たまにクルーとしてヨットにのり、たまにデートで食事にいく、という感じです。海から眺める周辺の陸の風景が妙に神秘的で、「今度、あのあたりを散策してみたいなあ」と思っていましたが、一度も足を踏み入れたことがありませんでした。まさか、そこが関東地方で稀な源流から河口にかけて丸ごと自然が守られている「奇跡の自然」であるとは、まったく知りませんでした。

ぼくが知らなかったのは当然で、この本の著者である岸由二さんと柳瀬博一さんのお2人が保全活動をスタートされたのが1985年ですから、それまではおふたりも知らない世界だったのです。ただ、そんな近くにある自然の価値をまったく知らなかったのは残念だった、というだけでありません。ぼくが1980年代後半からやや肩入れしていたのが横浜の三菱重工の造船所やその他の跡地をどうするか?という市民運動でした。それが行政から「市民の声は聴きました、はい、おわり」という感じだったところで、敗北感があったのです。その後、あの地域は「みなとみらい」と呼ばれることになりましたが、一方、同じ時期にスタートした岸さんと柳瀬さんの活動が、こうして30年を経て実り、小網代の自然は守られ、多くの人たちが自然を学ぶ場になっている。これは凄いなあ、と心の底から思うのです。

ぼくは1990年からイタリアに生活拠点を移した後、この三浦半島の先端に出かけることは全くありませんでした。確か4-5年くらい前、フェイスブックで柳瀬さんが小網代の自然を守るために、森を暗くしてしまう木や草を刈っていく「休日労働」をしていることを知りました。同時に、岸さんという柳瀬さんの大学時代の恩師の関係にも興味をもちました。柳瀬さんが理系の研究室にいたとか、岸さんがゼミの指導教官だったというのではなく、経済学部の学生が一般教養科目の履修で知った先生と30年もつきあうが続いている。しかも、柳瀬さんの流域や自然災害だけでないさまざまなテーマのフェイスブックの投稿に、岸さんは適切なコメントを書いていらっしゃる。この師弟関係を眺めていて、とても羨ましいとも率直に思っていました。

小網代の苦労と素晴らしさについては、2年前、ほぼ日で柳瀬さんが話されたレクチャーを読んでいましたが、今回、本書を読んで今さらながらに、保全のための絶妙な戦略と着実な実践に唸ります。実は今月初めに東京で柳瀬さんとお酒を呑んだ際(柳瀬さんは喉を傷めて、まともに声が出ない状態でノンアルコールビールだったのですが)、この本をいただき、ミラノに戻ってくる機内で読みました。そこで、なんとも胸がしめつけられるような思いをしたのです。岸さんが初めて小網代を訪ねるまでの経緯です。

岸さんは、かつて関与した自然保護運動から手をひき研究活動に専念していた。どうしても政治的な動きになってしまう自然保護運動から距離をおきたいと考えていたのです。が、人に強く誘われ、やや重い足取りで(のはず)、はじめて小網代を訪ね、この自然の凄さを一目で把握した。それが、1984年11月18日であったというのです。実際の活動をスタートされる前年です。岸さんにそれまでの10年以上の流域生態系の「思索と思い入れ」があったがために、30代後半のある日、大きな実践の場を得たわけです。それを大学できっと熱い思いで語り、学生であった柳瀬さんが惹かれていったのでしょう。

安易に政治家に頼らず(どうしても、そういう誘惑が多いのです)、反対運動ではなくより包括的な提案を柱に、社会全体が合意する範囲と方向の見込みを読み間違えずに活動を続けてこれたのは、岸さんと柳瀬さんの「社会理解度」が抜群に高かったからだろう、と考えました。もちろん、「自然理解度」とセットになっているからこそですが、「自然理解度」だけではこういう「大人の成熟度」を感じるプロジェクトにならなかったでしょう。(だから、ぼくは自分の青臭い時代をフラッシュバックさせられる羽目になる・・・・)。

8月、小網代の森に行きたいと思っています。やっとのやっと、青臭さの整理もかねて 笑。

 

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Category 本を読む | Author 安西 洋之