「デザイン」と「イノベーション」は単なるバズワードじゃなかった

ミラノサローネ2016をおよそ1か月半にわたって書き、久しぶりにこのテーマを集中的に考えることになりました。その結果、頭を働かせるだけでなく、実際に人に多く会い話をすることが多かったです。ミラノ工科大学のビジネススクールの先生であるロベルト・ベルガンティが8年前に書いた。「デザイン・ドリブン・イノベーション」を読む機会も得て、さらに頭と身体の動きが後押しされる羽目にも 笑。いや、この本、最高に面白かったです。

実は、この本、もっといえば「デザイン・ドリブン・イノベーション」という名前をぼくは避けていたのです、長い間。立命館大学経営学部デザインマネージメントラボのチームが日本語に訳して出版したのが、オリジナル本がハーバードビジネススクール出版から出た4年後、2012年ですが、確かその頃から、この名前を日本で耳にするようになったのでしょう。でも、ぼくは「何それ?」と読み気にもなれませんでした。だってですよ、ミラノの周辺のデザインを今更語るか?アルテミデとかアレッシとか、もう枯れたブランドじゃない、と。いや、ビジネスのブランドとしてはいまだに十分に立派ですが、ミラノデザインを語る際に、このブランドはもうないだろう、と。およそミラノからブリアンツァにかけての地域にミラノデザインを生むエコシステムがあったみたいな話は聞き飽きているわけです。

 

で、デザイン・ドリブン・イノベーションですよ。流行りのデザインとイノベーションの2つのバズワードが入っているのが、もう嫌で嫌で。いやらしい。そして経営学の教授がハーバード・ビジネス・レビューに書いたものだ、と。もう、これだけでツマラナイと語っているみたいなものじゃない、と(関係者のみなさん、失礼!)。まあ先入観のかたまりみたいな頭で、この本を手にとるなんて一生ないだろうと思っていたわけです(大げさにいえば)。確か、その頃、日本のある先生に、「ベルガンティを知っていたら、紹介してくれますか?」と聞かれたのです。ベルガンティを知らなかったぼくは、彼の略歴を検索でみて、「ああ、MBAの先生か。この人とのコネをわざわざ探さなくてもいいだろう」と判断し、日本の先生には「直接存じ上げないので、お役に立てそうもありません」と断ったのです。

さて、今年の4月のある日、ぼくの中小企業の本を読んだ日本の経営学の先生からメールをいただき、その方の論文も添えてありました。「イタリア+中小企業+産業集積+ブランド」の組み合わせが日本の経営学の範囲であろうと想像していたのですが、論文にはイタリアのデザインの考え方が記されていたのです。美術史や思想史に触れていて、それは驚きました。経営学はこのあたりまで手を伸ばしているのだ、と大いに感心しました。その感想をそのまま書いて返事をしたら、他の方を紹介いただくことになり、(詳細は省くとして)結果的にあの遠ざけていた「デザイン・ドリブン・イノベーション」を手にするに至ります。さっそく、最初の数ページを読んで、すぐさまぼくは自分が過ちをおかしていたことに気がつかされました。イタリアデザインには読ませるコンテンツがまだこんなにもあったのだ、と自らの無知と曇っていた目を恥じました。

曰く、「急進的なイノベーションとは、モノがもつ意味の転換であり、テクノロジーだけのイノベーションには限界がある」「ユーザー中心のデザインは緩やかな商品改良には貢献するが、長期的な資産を生む急進的なイノベーションには役立たない」「オープンイノベーションは誰でもアクセスできるのだから、誰でも模倣できる」「意味の転換を見極めるのは、ユーザーにクローズアップするのではなく、文化的にクローズドなコミュニティ(解釈者たちのネットワーク)で語られる内容を吟味して見極め、ユーザーをズームアウトして眺める必要がある」・・・・といったことが(ぼくの解釈も加えると)書き連ねてあるわけです。ぼくは、いわゆるソーシャルライフで得られる情報や見方を自分のなかで統合するのが肝心で、それが次の戦略を決めるヒントがあると考えてきました。例えば、アートギャラリーのオープニングでのアーティストやキュレーターとの雑談が、文化人類学者や企業家との会話と方向として一致することが、大きな指針になったりするわけです。ぼくはミラノサローネを「デザインディスコース」としてみる実践をしてきたので、もう、本に書いてあることに頷きまくる展開になったのです。

ちょっとエラソーに言えば、説明が曖昧な部分に嘘ではないけどリスキーな要素は多いとか、ソーシャルメディア時代のデザインディスコースは2008年には語りきれなかったはずだが、もう少しネット時代の解釈たちを予見しても良かったのではないかとか、批判的に言おうとすれば言えることがないわけじゃないですが、まっ、そんなの読者がその先を考えればいいことだ、と思えるのですよ。その裏付けに言うなら、いわゆる教養人や感度の良い人の集まりが、文化コンテクストを読み商品コンセプトをつくるにとてつもなく大切ってのは、この本には書いていないデザインマネージメント研究の動向が示唆してくれるんです。米国のデザインマネージメント研究のなかにはあまり出ていないようだけど、ヨーロッパのデザインマネージメントでは、デザイナーの役割だけじゃなく、アーティストの役割が大いに議論されています。これは、ベルガンティが投げかけたテーマの筋が良かったことを物語っているわけです。

ビジネスパーソンの教養は、日経新聞の文化欄やサラリーマンの週末の趣味の読書を指しているのじゃないというのが、この本を読めば痛切に分かるのです。ぼくは8年前に「ヨーロッパの目 日本の目」で、ヨーロッパに”まだある”ハイカルチャーの社会文脈の解釈は見逃せないと書きましたが、この8年間でもハイカルチャーの存在感は下降線を辿っています。それでもイタリアの小学校の歴史の教科書の冒頭に、「歴史を学ぶのは過去の散在したディテールから全体像を積み上げていく刑事のようなものだ」とあり、中学の美術史の教科書が「アートに表現されている象徴から時代を読み取る」と強調して説明されているのを読むと、ヨーロッパの人のコンテクストを読む態度がおよそ想像がつくのです。

いってみれば、ベルガンティが指す「解釈者」とそこにある「デザインディスコース」のいわば社会的根拠が見える。そして、本書には、十数人から何百人規模のイタリア企業が、社内2-3人と外部の「解釈者」たちのネットワークで意味のイノベーションをおこした事例が沢山紹介されているのです。ヨーロッパで急進的なイノベーティブなビジネス展開を図りたい日本の中堅企業が知るべき内容がふんだんにありますよ。もちろん日本のなかのビジネス展開の参考にもなりますが、小さなチームと質の高い外部チームでヨーロッパでガツンとやるのも刺激的だし、なによりも長期的な利益の源泉を狙うに最適な道であると確信をもつに背中を押してくれます。特に、グローバルの統一ブランドやデザインからローカリゼーションを図る道筋が旧世代になり、ローカルな文化文脈が他のローカルに飛び火してローカライズし、そこにイノベーションを生む新世代には、大企業ではないサイズの企業が小さなチームをつくるのことで大企業にはないイノベーションをおこす可能性が大きいですからね。これが楽しみじゃなくてなんだろう・・・と思います。

 

 

 

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Category 『ヨーロッパの目 日本の目』, さまざまなデザイン, イノベーティブ思考, ミラノサローネ2016, ローカリゼーションマップ, 本を読む | Author 安西 洋之