ミラノサローネ2016(10) イタリアデザインをいじり倒す。

サローネが終わってそろそろ1カ月が経ちます。毎年、「いったい、あの狂騒は何だったのだろうね」という声も聞きます。「お祭りとしか言いようがない」と苦々しく語る人もいます。今年のサローネ会場は37万人の入場者があったというので、市内のフオーリだけをみた人も含めると、ざっくりいって動員数は50万人は超えるのでしょうね。まったくの想像ですが。それほどの「狂騒」を演じているなら、相応にイタリアのクリエイティブ産業に貢献しているのか?といえば、ミラノのその世界の人にそこまでの実感はない・・・という印象をもちます。何かうまく機能していないのでしょうか?

ミラノサローネ2016の(1)で、「イタリアデザインを世界のデザイントレンドのなかでどう再び位置付けていくのが良いのか?」を考えたいと書きましたが、いろいろとこのテーマについて意見があるイタリアの人と話していて、一つのことに気がつきました。「グローバルな時代で地域の名前を冠したデザインなどあまり意味がない。個々の才能の話だ」と語る一方で、同じ人間が「デンマークのデザインって言っても、大したものがあるわけじゃない。デザインシンキングの発祥地のシリコンバレーには何があるのだ?あれはアメリカの産物じゃないか」と批評するのです。外国にもよく足を運び、コスモポリタンの考え方や生き方を選択していると思っている人は、ローカルに拘る表現に拒否反応のように「イタリアデザインという言い方は過去の遺物である」と言いがちではないかと思うのですね。しかも、その当人は、タイ政府のデザイン振興機関のディレクターにぼくが言われた「イタリアデザインは(北米や北欧のトレンドと比べて)遅れている」という見方に対して、「イタリアのデザイン事情を分かっていない」と反発したりするのです。これは1人に限ったことではなく、何人かと話した結果です。

だからぼくは、こう思ったのです。イタリアのデザインについて語ることをイタリアの人だけに任せておくと闇の中に入ってしまうと。当事者が語ることは大事だけど、当事者が語ったことだけで外部の人間が分かるか?といえば、そうはならない。また、外部の人間が取り上げると、とてもよい絵が描けたりもする。例えば、経営学の人がイタリアデザインをみると、ミラノのデザインの世界で生きている人には当たり前でつまらないことでも、とても参考になる。そういう風に「いじり倒す(笑)」に、イタリアのデザインはまだまだネタがあるし、参考にすべき知恵はやまほどあるということなんですね。イタリアデザインがステレオタイプに論じられるならば、その裏にあるものや、ステレオタイプの崩し方にヒントがあるし、イタリアデザインについて語ること自身が古いというなら、なぜそれが古いのか?という問いかけをするところから見えることがたくさんあるのです。

2008年に「ヨーロッパの目 日本の目」という本を書いたのは、ヨーロッパの人たちや企業とコラボレーションするための文化(=ロジック)理解の仕方を示すことでした。それまでヨーロッパの本といえば、アカデミックな本か生活奮闘記の本ばかりであり、ビジネスパーソンが知るヨーロッパ文化というカタチが見えていないと考えたのですね。それも学ぶためではなく、コラボレーションするための知恵です。それから8年を経て、イタリアデザインそのものを素材として使う発想があっていいんだなとの思うに至ったわけです。

かつて日本の企業にとってのイタリアデザインは、アイデアのネタでした。あるいはブランドをつくるための方便でした。対象は日本市場です。こういう目的のためにイタリアのデザイン事務所に日本の企業がアプローチし、日本のデザイン事務所の数倍の金額を払ってでも仕事を依頼したのです。その中には製品になったものもありますが、多くはレンダリングかモデルあたりで「はい、ありがとうございました。あとは我々の社内でやります」と言い、ちょっとしたディテールだけを活用したデザインで終わる(=製品になる)、と言うのが一般的であったと思います。しかし、そういう時代は去った。ちょうどヨーロッパのブランド品にあまり夢を感じなくなった時期と重なるでしょう。もちろん、その種のプロジェクトがまったくなくなったわけではないですが、日本のデザイン事務所の数倍という金額での商売はなくなってきたということです。

今、ヨーロッパ/イタリアのデザイン事務所に日本の企業が求めるのは、日本国内をコア市場においた製品開発ではなく、ヨーロッパ市場で売れる製品をつくるパートナーという点でしょう。ぼくがこの2-3年感じているのは、2008年のリーマンショックで一斉に北米・欧州市場から新興国に目が向いた日本の企業が、じょよにヨーロッパに戻り始めてきたということです。一時は「文化的プライドが高く敷居が高い」とヨーロッパ市場を諦めていたのが、そこで勝負してこそ利益を生む仕組みが作れると考えを変え始めてきたのですね。レクサスはこういう勝負を繰り返しているブランドですが、最近の日経ビジネスにあった「日本発の高級腕時計 スイス勢へ逆襲の時」というセイコーホールディングスの記事も、この流れを示しています。そしてヨーロッパ市場への関心というか意欲は、こうした大企業の高級ブランド戦略にとどまらず、大企業でもない企業レベルにもあり、実際、ぼくにコンタクトしてくる方の話からもうかがえるし、雑誌の記事執筆依頼も、このテーマが増えてきたところからも傾向が分かります。ヨーロッパの成熟さと課題先進国であるのが、「挑戦するに意味がある」と思わせ、市場開拓に励めば学習する内容のレベルが高いと認識しはじめた、といった具合です。

・・・という感じのところでぼくが考えているのは、上記文脈でのヨーロッパ/イタリアデザイン活用法をもっと具体的なカタチにしていくことかなと、ビジネスとして。それから、自分なりのこうした解釈に基づいたイタリアデザインについて簡単な本を書いてみたいなあとも思っています。で、これまでと違うのは、本は英語で、という点です。ヨーロッパやイタリアのデザインの当事者たちにも読んでもらいたいと思うわけ。いや、経営側の人たちにも。じゃないと、さっき言ったように、闇が続くわけですよ、ずっと。で、これをやると日本の企業の考えていることも、ヨーロッパの人に理解してもらいやすくなり、それこそコラボレーションする際の参考書にならないかなって。まあ、まだ思い付きの段階なんで何とも言えないけど、ヨーロッパ人の誰かと共著がいいかな。

 

 

 

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Category イノベーティブ思考, ミラノサローネ2016, ローカリゼーションマップ | Author 安西 洋之