『ヨーロッパの目 日本の目』-9

先週4日の『ヨーロッパの目 日本の目』-9で山本玲子さんのブログを紹介し、作品の解説の意義について触れました。彼女のブログでもう一つ引用しておきたい部分があります。少々長いですが、以下です。「ひとへやの森-インタラクティブな風景展」(11月1日~4日)に関する11月28日のコラムです。

<ここから>
“樹木”ユニットを眺めながら同時に思ったのは、近年の若手建築家、若手デザイナーの作品にちらほらと見られる詩的なストーリー性はどこからくるのか、ということだった。自然の中で深呼吸をしたり、時間をゆったりと積み重ねたりすることに、静かに思いを寄せるような彼らの作品には、ぼんやりとした閉 塞感の中で自分だけの無限の自由を求めるロマンチシズムのようなものが感じられなくもない。

ひとまわり年上の先輩デザイナーたちは「もっと自分をさらけ出して」「もっと大きなビジョンを」と言うが、声高かつ簡潔に言い切ることだけが現代の正解ではない。むしろ、言葉を慎重に選び、時間をかけて相手との距離を少しずつ縮めていくようなアプローチ方法にも、もっと目を向け、丁寧に読み解こう としてもよいのではないかという気もする。
<ここまで>

http://reikoyamamoto.blogzine.jp/ynot/

偶然ながら、この「詩的ストーリー性」が、八幡康貞さんと電話で話し合ったとき、やはり一つのテーマになったのです。欧州の大学教育でも、本を最初から最後まで読むのではなく、複数の本をチャプター毎に読んでレポートを書かせることが多くなったが、これは米国の教育方法の影響だろうと八幡さんが指摘しました。一方、ぼくが「欧州人も若い人たちは、カチッとした強さより、弱々しい中性的な表現を好むようになり、そのあたりは日本の若い人たちと共通の面が出てきましたね」と話すと、八幡さんは「そうですか・・・でも、欧州の若い人たちのほうが、痛々しさというか、苦しみというか、こういうことを内により含んでいるような気がする」と語りました。

本の中で、欧州においても「軽い」ということに価値が持たれるようになってきましたが、それは日本の「軽さ」とは違ったバックグランドとニュアンスがあるので、その文化差をきちんと把握していないと大きな勘違いを招くと書きました。これは当然のことながら、「弱々しさ」「中性的」といった表現にも出てくるギャップですから、世代傾向を眺めるときにも、よく見極めることが大事です。八幡さんのいう「痛々しさ」「苦しみ」というのは、自分のコンセプトを生み出すときのプロセスを指しているのだろうとぼくは理解しました。

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Category 『ヨーロッパの目 日本の目』, さまざまなデザイン | Author 安西 洋之