ミラノサローネ2016(9) 若き才能と遭遇する

デザインウィークの面白さの一つは、才能ある若い人たちに会えることでしょう。それも誰かに評価された才能の確認ではなく、何気なく偶然に出会う才能です。偶然といっても、あるゾーンがあります。サローネサテリテ、ランブラーテ、トルトーナの出会える確率は高いかしれないけど、ブレラ周辺は既に評価を受けている才能になります。もちろん既に評価を受けているか、まだ評価を受けていないかは、ぼくの知る範囲のことであり、何らかの近しい人の評価によって背中を押されている場合が多いのでしょう。若いという基準は、この場合、30代の半ばくらいまでですかね。サテリテの出展基準も35才までだし。

レクサスのデザインコンペで最終選考に残っていた作品は既にある程度評価されているとみてよいかもしれないですが、ぼくは審査中の作品からカナダ人のアンジェリン・ローラ・フェヌータさんが気になっていました。モジュール型のデザインで着る人の好みに対応するというプロトタイプの写真をみて、そのシルエットが柔らかいと思ったのですね。モジュール型というとプロダクトデザイナーの発想によるような気がするのに変だな?と。なぜぼくはそう思ったのでしょうか?

数年前、このブログでも「プロダクトデザイナーのデザインしたファッションはどうしてダサいのか?」というテーマについて書いたことがあります。カーデザインの巨匠のジュージャロでさえファッションデザインはあまりかっこよくないのです。ご本人が着ているファッションはかっこいいのですが。それで「プロダクトデザイナーの弱点克服講座」というワークショップをやってみたことがあります。プロダクトデザイナーは静止画でアイデアを作る。一方、ファッションデザイナーは動画によりシルエット。輪郭をきっちりと描くトレーニングを受けたプロダクトデザイナーは、流れるようなイメージができにくいようです。そこでファッションデザイナーに講師になってもらい、プロダクトデザイナーにモノの見方やシルエットのつくり方を教えてもらったら、プロダクトデザイナーもコツがわかった様子。

そういうわけでフェヌータさんというロンドンのセントラル・マーチンズでファッションを学んでいる学生が、どう輪郭の陥穽に落ちないでシルエットを確保することを意識したのか?は興味がありました。彼女に「プロダクトデザイナーのファッションデザインはダサいよね」と言ったら、「そう、そう!」とニコニコしながら返事。いろいろと聞いていったのですが、一枚のテキスタイルだから自由なシルエットが作れるわけではない、その壁を超えるにモジュールというシステムアイデアに至ったのですね。一枚のテキスタイルという素材から手をつけていく。最近、素材の存在感を出すため(あるいはリサイクル目的)にファッション化する試みを色々とみますが、このモジュールはそういうところからの発想ではない。そこにフェヌータさんの頭の働きには何か面白いものがあるのではないか、と感じました。

ランブラーテで展示をしていた日本のTAKT Project の作品も、メンバーの頭の働きに「これは何かありそうだ」と思わせるものがありました。彼らも既に評価を受けている人たちの部類に入るのでしょうが、その彼らが「何か分からないけど、こんなのどう?」とカジュアルに見せているのは良いです。アクリルの立体の中に電子部品が入っていて、アクリルの中が光ります。スマホのアプリで明かりを調整もできます。ぼくが面白いなと思ったのは、多くの人は、まずその美しさに目を奪われ、それが何であるかは分からずともただじっと見入るのです。アクリルの中に物理的なモノを入れ込むのは、それこそ倉又史郎の椅子もそうだし、ぼくの友人のアーティストである廣瀬智央さんの作品にもあります。ある世界観を瞬間的に閉じ込めた感があってかなりドキッとします。

「アート作品とみられてもいいのですが、新しい家電の可能性を示すかもしれないとぼくたちは考えているんですよ」とTAKT project の本多敦さんが説明してくれます。なるほど、なるほど。この人たちは、これを単なる一つの電気製品のデザインのバリエーションとしてとも考えていないのだろうなと、ぼくは想像します。一バリエーションなどというのは「志の低い」言葉であり、もっと空間やインターフェースそのものにイノベーションをおこすヒントにならないかと考えているのでしょうね。でも、そういうことはあまり言わないで、小さいオブジェで語りかけるわけですね。それがいい。

まったくの印象なので当たっているかどうかまったく分からないのですが、かなり前からサテリテをみていても、メカニカルやエレクトロニクスの要素のあるアイデア勝負の作品って日本の若い人に多いような気がしています。先週、石巻工房の(2008年ころにはサテリテに出展していた)芦沢啓治さんと話していた時、「スカンジナビアの若い人は家具のつくり方とかうまく、パッと見てスカンジナビアって分かりますよね。それに対して、イタリアの若い人の作品はイタリアとは分からない。日本の人の場合は不足感みたいので、日本の人と感じますね」と語っていました。この日本の人の不足感というのは、サイズだったり、色だったり、コンテクストとの相性の不足だったりという点でぼくも思うのですが、一方で何かゴソゴソと電子部品なんかも使いながら作り上げてきたのは日本の人、という感じがするわけです。これは良い意味で。

それも当たり前のようにデザインを意識している。印刷回路の作品を出していたAgICの杉本雅明さんも「ぼくたちの世代ではデザインを考えるのはもう前提っていう感じがあって、シリコンバレーなどと違うところで勝っていくには、文化の多様性に対応できることだと思うのですね」と話しています。これはローカリゼーションマップをやっているぼくにとっても嬉しいコメントです。日本の大企業の展示を見ていると、相変わらず大がかりで硬いだけがとりえで、カジュアルな新しいコンセプトに縁遠いことが多いのですが(どうしてもスーツの内ポケットから出してくる感じがあるんだあ)、中小企業、ベンチャー企業、個人の展示には新しい息吹を感じるものも少なくないです。実際の世の中の変化は、こういうところから起こってくるでしょう。きっと3-5年もすれば、ミラノデザインウィークの風景もガラリと変わっていくはずです。本多さんや杉本さんのような作品がもっと主流として見られるようなカタチになっていると思います。

下の写真2つは、©TAKT PROJECT

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Category ミラノサローネ2016 | Author 安西 洋之