ミラノサローネ2016(8) nendoの漫画チェア

日本の漫画が教科書的説明の補助に使われたりしても、「漫画みたい」という表現はあくまでも「バカみたい」という意味であるケースが殆どでした。平面的な描写が浮世絵的であるという流れで歴史文化背景を説明したとしても、「漫画は知的表現である」と言われるのは、あまりないことでしょう。あくまでも「空想的」「非現実的」が漫画的という言葉の指す中身だっと思います。繰り返しますが、コンテンツとしての知的レベルの高い面白さがあったとしても、漫画が比喩するモノはそういうことだったのです(という理解は的がはずれているのかな?)。だからnendoが漫画の椅子を50脚を展示すると聞いたとき、一瞬、クールジャパンの何かを始めたのかと思ったくらいで、その展覧会をみるまでどういうことを意図しているのかよく分かりませんでした。

会場でモノをみて合点がいきました。これはほんとうに漫画と呼ぶしか言いようがない椅子が並んでいるのです。脚が歩いているようだったり、マンガのセリフの吹きだしそのもののカタチが椅子についていたり。それこそ、一つ一つはバカみたいです。実に何ともない。だからこそローカル言語であった漫画がいつの間にかユニバーサル性を獲得しはじめている状況をうまく逆手にとった発想に、ぼくは感心しました。これは状況説明の展示だと。

「無用の用」の極みとのカタチの数々をみながら、数日前にみたコルソ・コモ10で開催されているGufram の展覧会を思い出しました。グフラムは家具に初めてポリウレタンを採用したメーカーで、ここでは50年の歴史を振り返っています。60年代のラジカルデザインの作品の数々は、それまでの機能をアシストするデザインに反旗をひるがえし、「これ、どうやって使うの?」というものを世に問うていました。

ここでぼく自身のことを振り返ると、トリノでぼくが活動をはじめた当初に知りあった建築家が、唇をイメージしたソファ BoccaをデザインしたStudio65のメンバーでした。そしてこの建築家に紹介された家具メーカー(ぼくが初めて訪問したイタリアの家具メーカー)がグフラムだったのです。90年代前半です。「日本市場に関心がある」と、よくある打診です。が、その頃、ポストモダンもビジネスになりにくいと言われているだけでなく、バブル経済が崩壊して「こういうのもあっていいんじゃない」というデザインには距離感をもっていた時代なので、ぼくはかなり怯みました。「う~ん、これらを商売とするのは成功率が低そうだ」と唸りました。一応は日本でも反応はみたのですが、案の定の否定的な返事しかありません。ぼくが日本のデザイン雑誌などでGuframの家具を一品ものとしてースタイリストが作る空間の小道具としてー見かけるようになったのは今世紀に入ってからです。要するに、バカにするには楽しい。が、これ一つを買うには、これをアンチとする大きなコンテクストの用意がないと面白がれるものでもない。

一方、90年代、日本のアニメや漫画が欧州で人気があると一部で「囁かれて」いましたが、パブリックな情報というよりも、あくまでも知る人ぞ知る情報にとどまっていました。80年代にフランスのTV局がコンテンツ不足を補うために日本のアニメを使ったというのは、この10年くらい、後になって知ったことです。

いずれにせよ漫画は表現としてはローカル言語であり、日本の企業がビジネスシーンで漫画をコンテンツ以外に漫画の表現をまともに海外で使うこともあまりなかった(ルイヴィトンが村上隆のアートを採用したとしても)。ハロー・キティなどのキャラクターの浸透と漫画の浸透がどう絡み合ったか並行したのかわかりませんが、「バカみたい」な漫画表現がポストモダンの流れの中に実は「正々堂々」と入ってきているのではないか?という鳥瞰図を見せているのが、今回の展覧会の示唆するところかなとぼくは思いました。

ただそれだけといえば、ただそれだけ。でも、ただそれだけでも、ある一歩を見せてくれることもある。そういう心境です

 

 

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Category ミラノサローネ2016 | Author 安西 洋之