ミラノサローネ2016(7) レクサスとローカル言語

レクサスのEUでの年間販売台数は5万を越えるが6万には至らない。リーマンショックで台数が減った後、ハイブリッドなど車種を増やしてきたにも関わらず、です。米国の20万に遠く及びない。この欧州と米の差がとても興味深いところです。どうしてこうも売れないのでしょうか。それをこの10年間ほど、レクサスがミラノフオーリサローネに出展をはじめた2005年からずいぶんと考えてきました。

ミラノでの出展が販売結果に直結する確率は低いでしょうが、レクサスがブランド向上を図る「思考実験」(レクサスのブランド戦略を考える方法)としてみると、ここで頷ける点が多いかどうかは一つの指標になるだろうと思ってきました。石上純也氏、吉岡徳仁氏、乾久美子氏と続いたころの展示は、ほとんど欧州の文化土壌を踏まえていない一方的なプレゼンであると、ぼくの目には映りました。特にデザインフィロソフィーのL-Finesse (先進技術と物言わぬ美学的な文化の融合)が、高級量産車の顧客の耳には届かないだろうに、ここを強調するところに無理を感じました。

2008年のnendoによる展示が女性イメージから男性イメージへの転換を思わせ、マーケティング的な側面での期待を抱かせてくれます。というのもエクステリアはさておき、コックピットのインターフェースが「なよなよしている」という欧州人の声をずいぶんと聞いていたので、少なくても女性イメージを増加する方向は得策とは見えなかったのです。しかしながら、藤本壮介氏の次年度にもその路線が続くというわけでもなかった。結論として、これら5年間の(今から見る)前哨戦イベントはクルマが売れるためのマーケティングにはあまり役立たないだろう、と見る人に思わせるものだったと言えます。

2013年から、L-Finesseを取り下げるわけではないですが、若い人を対象にしたデザインコンペを行い、イベントの名称をLexus Design Amazing Milan と変更します。クルマそのものがメインに展示されるのではなく、デザインの方向性を純粋に探る体裁をとりながら、レクサスブランドに重層性を持たせようとの意図が感じられました。世の中でソーシャルイノベーションやソーシャルデザインに目が向いてきた時代において、そうした要素を入れることで「レクサスはがっついた成金ばかりをファンにつけるつもりじゃないんだよ」と牽制しながら語り始めたような印象をもちました。欧州のラグジュアリーブランドがある程度成功したところで、文化財団をもち美術や若者に投資するー欧州貴族における勲章はキャリアに対してではなく、これから伸びるであろう若き才能に箔をつけるもので、それによって勲章を与える側も高い位置に立つー戦略と似たところに居場所をおいたのだと思いました。

・・・とは言うものの、何らかの強い確信がみえたかというとそうでもない。紆余曲折感は拭えないにせよ、それはトヨタがもつ美点である試行錯誤の一つであると見るべきではないか、と徐々にぼくも考え方が変わってきます。あいかわらずL-Finesseがちょっと顔を出すのが玉に瑕にせよ、レクサスが高級ブランドになりたいとの欲をもち、成功するための思考プロセスを公開しながら検討しているのだと見るならば、販売実績とはまったく違うレベルで観察することができます。この観点でいって、今年の展示にオランダのフォルマファンタズマを迎えたのは良い選択です。ぼくがそう思う理由は、マーケティング主体のインターナショナル(言語の)デザインと地域アイデンティティを重視するローカル(言語の)デザインの狭間で迷い続けてきたレクサスというブランドに、地域、伝統、文化をキーワードに活動するフォルマファンタズマはフィットするはずだからです。(多分、このあたりのテーマに興味のない見学者にとっては、彼らの登場に格別の面白味を感じないかもしれない)

彼らがトヨタは織機の会社からスタートしたことを知り、日本の建築空間にある障子の曖昧な光に興味をもち、トヨタの工場でのロボットと手作業の分業に目がいった。その結果として色が塗られた多数の糸がみせるクルマの姿(ここで聞こえるノイズは工場の生産現場の音)は、一瞬、2006年の吉岡徳仁氏の空間ー無数の糸の向こうにクルマが透けてみえるーへのオマージュ的であり(デザイナー本人のコンセプトに、それはなかったと否定しています)、ユニバーサルとローカルな言語のバランスが良いと思いました。そこで、ぼくはフッと考えます。2006年の展示にあまり納得がいかなかったのに、どうして似た表現に首肯するのかと。一つは前に書いたように、ぼくの見方が変わったのもあるでしょう。あるいは、吉岡徳仁氏の表現にはユニバーサルとローカルの配分は伺えなかったが、フォルマファンタズマにはそれが見て取れる、ということもあります。

彼らーアンドレア・トリマルキ氏とシモーネ・ファルジン氏ーに、「レクサスのクルマのコックピットに対して、何が不足していると思う?」と聞いてみたら、クルマはいわば門外漢であると断ったうえで「自然素材とシンプルさ」という2点を挙げてくれました。これほどにミニマリズムやシンプルな美を主張してきたレクサスが、実際のところ、それらの点に不足点があるとみられるのは皮肉です。でもとても的確な意見であり、レクサスは今回の展示に限定しないカタチで、フォルマファンタズマと付き合っていくのが良いのではないかとぼくは考えました。この(1)でも書いたように、繰り返しますが、デザインの2つの言語の微妙な使い分けが現代のデザインの勝負所です。それはグローバル製品のローカリゼーションを下に見るような視点ではなく、あるいはブランドの確立に急ぎ足になるためにローカル言語を使い過ぎるレベルからも離れた地点にあります。

最後に。このレクサスの会場の近く(Via Vincenzo Forcella 7) で慶応大学SDM (システムデザインマネージメント)の学生やOBが展示しています。印刷回路や薬を飲みやすくするストローなどがあります。すごく分かりにくい路地を入って、番地に行きついてもそこから該当の場所にたどり着くのも一苦労します。しかし、美大系デザインではない工学系のデザインの人たちが、サローネのサテリテでもなく(彼らは去年サテリテに出ました)フオーリに参加するようになったのは、日本のミラノデザインウィークへの見方の変化とフオーリサローネの質的変化を物語っています。この視線からみると、レクサスの展示も変化して当然ということにもなります。トルトーナに行ったら両方を見比べてみてください。

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Category ミラノサローネ2016 | Author 安西 洋之