ミラノサローネ2016(2) ”イタリアン”・デザインシンキング

デザインシンキングという言葉がいろいろなところで聞かれるのは日本に限った話ではなく、イタリアも例外ではありません。「経営においてデザインシンキングが必要とされる」というセリフはイタリアの企業においても聞かれます。「デザインシンキングって、前からデザイナーが考えていた発想プロセスでしょう?何か新しいの?」というような反感を込めた言い方も当然あります。殊に「人間中心デザインとか、イタリアが得意としてきたことじゃない。スタンフォード大学がやっている?ナニ?」という土地ですから、「なぜ、今?」という疑問度は増すわけです。

歴史を辿るならばイタリアがデザインで主役に躍り出てきたのは1950年代で、それまでヨーロッパではデンマークなどのスカンジナビアがリードしていたわけですね。その特徴をイタリアのデザイナー連中に言わせると、「スカンジナビアは自然との調和がテーマだったんだね。いわば自然中心デザインなんだ。それに対してイタリアのデザインは、人、モノ、スペースの相互関係を重視した。それがデザインの世界を変えたんだよ。ねっ、今、巷で出回っているデザインシンキングそのものなんだよ」となるわけです。それが60年代後半からラジカルデザインが生まれてくるし、新しい材料の採用などが加速されてくる。カルテルが1940年代後半にプラスチックの製品を作ったところにスカンジナビアを追い越した原点があると語る人もいますから(以前、カルテルの創始者と話した時も、当然、そういうニュアンスを込めていた)、歴史の解釈は寛容であるという前提で話さないといけませんけど。

この黄金時代にジオ・ポンティからの系譜をつぐ巨匠が活躍したとなっており、イタリア人の才能が脚光を浴びたとされますが、「いや、その力を否定しないが、ミラノの近郊ブリアンツァのスタートアップの起業家精神に見るべきものがあった。その事実がイタリアデザインの中心に据えられるべきというところからすると、デザイナーのタレントではなく企業家が主役だ」という見方もあります。家具雑貨における「悪名高き」ロイヤリティ制度(メーカーはリスク軽減)がデザイナーたちを疲弊させた面が強いとの評価の逆をとると、企業家の商売のノウハウがイタリアデザインを牽引したと書けるわけです(ぼくは、ここでデザインのロイヤリティ制度のドラフトを作った弁護士の存在に行きついたことがあり、極めて小さいコミュニティでつくった慣習が時代を開拓するというエピソードに使っています)。これによって、外部のデザイン人材がメーカー社内の製品開発に介入するというシステムが正当化されたのですね。

1972年、ニューヨークのMoMAで開催された「ニュードメスティック・ランドスケープ」展がイタリアデザインの国際プレゼンとしてよく引用されますが、このあたりから外国人デザイナーがイタリア企業のために仕事をすることが増え、同時にイタリア人デザイナーが外国企業のために働くことも多くなり、その意味でイタリアデザインの国際化に一躍買ったわけです。が、今からみると、これまたミラノとその周辺の小さな、小さなコミュニティのプロジェクトであったという側面は見落としてはいけないところでしょう。このようにして、「イタリアデザインは企業のデザイン理解のもと、大きく発展した」という大きな物語がとにかくできたということになります。

ここで一言加えておくと、この大きな物語はミラノを中心とした地域で作られた家具や生活雑貨の分野に生まれたものである、という認識はしておかないといけません。1950年代にギア、ベルトーネといったトリノのカロッツェリアが車業界で国際的な名声を得て、海外の企業をクライアントに仕事をしていた歴史的事実は、「イタリアデザインは企業のデザイン理解のもと、大きく発展した」との物語に入っていません。イブレアのオリベッティは、トリノデザインとミラノデザインの間でどちらからも「物語りのれんに使わせろ」(と言われているかどうかは知りませんが)という強風のなかで漂う小舟という感がないでもない。もちろん、オリベッティという存在は小舟どころじゃあないのですが、多くの場合、ミラノ寄りにひっぱられるかもしれません。それだけ車のデザインは別枠で別格ということなんですね。

もちろん拡大してファッションやテキスタイルも大きな物語に組み込まれることもありますが、どちらかというと、その場合は「メイド・イン・イタリーは世界を牽引するブランド性がある」や「イタリア人のクリエイティブな才能は地中海的な環境で花開いている」という広報的文脈において活用されていると思います。ぼくが言いたいのは、こういう文脈も含め、「イタリアの企業経営者はデザインに造詣が深く、デザインを判断する目があり、それらは商品開発において大いに活用されている」と海外の人たちから(特に日本の人たちから)思われる状況を有利に作ったところがエラかったと考えるのですよ。実際にそうだったかどうかは別にしてね。その象徴がミラノサローネという大イベントなわけです。

今世紀に入り、生産のグローバル化とインターネットの普及をベースにデザイナーが自分で、それこそデザインを経営の牽引にしてトム・ディクソンのようにブランドを作ってきています。ここでみるべきは、多くは生活雑貨の分野である、ということです。言うまでもなく、スタートアップの家電や通信デバイスのブランドも沢山ありますが、デザイナーが主導する多くのスタートアップは生活雑貨なんです。で、こういう分野はビジネスとしてみると大きいとは言えない。「ああ、雑貨ね」とスーツを着た人たちには見られる世界なんですね。好きでやっているファッションブランドとそう変わらない。こういう人たちが身を構えるのは、やはり、先週あったイーロン・マスクが発表したテスラの新モデルへの市場の反響くらいにならないとダメなんですね。イーロン・マスクはデザイナーじゃないけど、デザインが経営の根幹に入り込んでいる、という意味で参照の対象になります。

で、多分ですが、こういう反応をみると、「イタリアデザインという名で”イタリアン”デザインシンキングの上に胡坐をかいてちゃあいけない」とイタリアの経営人も慌ててくるのだと思います。「おい、おい、俺たちの”イタリアン”デザインシンキングは甘かった?」と。「過大広告はやはり通用しなくなかったかかあ」と。あまりに早くモノのインターネット化が経済をひっぱっていくと「やっぱり俺たちの領域に入ってきたよ」と事態を過小評価するでしょうから、これからの数年の転換をうまく読み切ると「イタリアデザインは使える」との再評価を得る可能性もないわけじゃないでしょう(ああ、なんと歯切れが悪い!)。あくまでもビジネスは個々の企業の問題であれ。

 

*画像は昨日も今日も、ミラノにある病院のなかのショッピングセンター

 

 

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Category ミラノサローネ2016 | Author 安西 洋之