ミラノサローネ2016(1) イタリアデザインのポジションは?

ミラノサローネについて、このブログで書き始めたのは2008年。ですから今年は9年目になります。最初の頃は毎年かなり書いていましたが、この頃は少々さぼり気味でした。今年はもう少しマシにしようかなと思っています(まあ、ことが始まる前の決心はさほどあてになりませんが・・・・)。

さて、ぼくがサローネをみる理由の一つには、ズームアウトされた見方とズームインした見方の両立への訓練というのがあります。大きな社会トレンドと小さなプロダクトを繋ぐものが何であり、それがどういうスパンで変化していくか?というのを読む訓練って言うとよいかもしれません。そこで一応、毎年、何らかの目的や目標は自分のなかで設定しています。ただそう硬く考えているわけもないのですが、漠然とながら今年は2つを考えています。

一つはイタリアデザインを世界のデザイントレンドのなかでどう再び位置付けていくのが良いのか?です。巨匠の時代が過ぎた後、「イタリアデザインはイタリア人の才能の話じゃなくなったんだよ。だってイタリアで活躍しているデザイナーは外国人が多くなった。つまりデザインに前向きな中小メーカーとデザイナーがつながり、試作品への投資であれその表現の場であれ、あるやり方がイタリアには可視化されている。このシステムが確立されているのがイタリアデザインなんだよ」という解釈が通用していました。1990年代の後半あたりからでしょうね。

それに引き続き、今世紀に入ると、「どこもローカルがそのデザインを売りにすることが少なくなり、マーケティングを主体としたインターナショナルなデザインが主流になった。イタリアデザインを語ること自身にあまり意味がなくなった」という解説も普及しはじめました。その一方、フオーリサローネや昨年のミラノ万博に見るように、各ローカルの地域プロモーションもあり、工芸品や食を対象としたデザインが強調されはじめます。ただ日本の各地の特産品がどれも似たようなデザインで衣をかけられているように、北欧であれ東欧であれ、その傾向にはあまり変わりがない。地域の独自性を語る言語がユニバーサルなのです。それは言ってみれば当然の帰結で、ローカルのモノをあまりに他の地域の人には分からない方言で説明されても理解できない。方言の味が残っている標準語で語りかけないとマーケットにならないのでしょうね。(したがって、この問題を日本の地方のデザインの次元に落とすと、「東京中心の考え方の弊害だ」とだけ批判していると、ものが見えてこない部分がある)

最近、ミラノでもハンバーガーの店が増えています。米国式ではなく、どちらかというとオランダやデンマークあたりのクリエイティブを強調したハンバーガーなのですが、これなんかを見ていても思うのですね。デンマークのクリエイティブがさまざまに話題になりますが、その要因の一つは、ユニバーサル言語とローカル言語のバランスのとり方に説得性がある、ということだと思うのです。ぼくも10年ほどデンマークの会社と取引をしてきたし、あの国のヨットハーバーに興味があったこともあり、ずいぶんと前から眺めていましたが、「アングロサクソンとはちょっと違う」ところにアンカーがおろされている妙に掴むべき要点がありそうだと感じていました。

まっ、そういう流れを踏まえて、スカンジナビアや英国のビッグデザイン(ソーシャルデザインまで含めたような)、あるいはIDEOのデザイン手法とか、そういうものが論議されているなかでイタリアのデザインはどうなんだ?ということでしょう。タイのデザイン振興政府機関のディレクターに「IDEO、ヘルシンキのアールト大学、ロンドンのRCAには先端のデザインがあるが、イタリアのデザインは遅れている」と言われたエピソードは色々なところで紹介してきましたが、これは数年前のことです。これに対してイタリアのデザインはどう説明を返しているのか?というのは、ぼくがこの数年考えているところです。この彼の言っていることが非常に狭い視点で語られ、外貨を稼ぐための新興国デザインという観点でどうなのか?とぼくは彼に反論したのですが、そう情けないことをイタリアデザインについて言われてしまう、という点にみるべきところがあると思います。

二つ目にぼくが考えたいのは、ミラノデザインウィークにおけるハイテク製品や自動車の位置づけです(アートやファッションとの区別については、ぼくの中ではある程度回答をもっているので)。サローネは家具の見本市であり、浴室や台所あるいは照明器具が手が伸ばせるところであり、ハイテク製品や自動車の会社がフオーリでやってきたのは「大企業の便乗である」という印象がどうしてもあった。レクサス、サムスン、キャノン・・・・いろいろあります。社内的には「トレンドを作るデザインの先端を知る人たちにプレゼン」とかなんとか説明したかもしれないし、ある会社ではマーケティング予算ではなく、デザイン部署の予算だったりというのが透けてみえるところはあった。そしてインテリアを中心として仕事をする人のなかには、それらのプレゼンを心地よく思わないか、分かっていない連中とみる現象もありました。いや、だいたい、ハイテク製品や自動車はインテリア業界と桁の違う予算をもっているので、インテリアの人たちにはロジックが分からないという要素もあるかもしれません。

しかしながら、10年以上前からハイテク製品や電気自動車が生活雑貨やライフスタイル全般のプロダクトと繋がることは見えていました。もちろん10年前にサローネに参加していた大企業の担当部署の人たちがその見込を踏まえて「デザインウィークに出ておくべき」と主張した可能性は低いです。実際、ぼくはそういう企業の数々と将来の企画を話し合うなかで、「そういう時代はくるけど、2012-3年あたり以降に市場に投入されるかどうか」という意見が多数でした。確かにアップル製品の自動車への組み込みとか、テスラやグーグルの動きをみていると、「2012-3年あたり」というのはバッチリだったのですが、逆にデザインウィークを企画する側にそういう構えがほとんど見られなかったがゆえに、「大企業の便乗」というイメージを不必要に長引かせてきた面は否めないと感じます。多分、これから変わっていくはずです。それが「どういう変わり方をするか?」を見ることによって、シリコンバレーあたりの物語が日常生活に嵌りこむイメージを実感するプロセスを考察できるでしょう。

 

 

 

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Category ミラノサローネ2016 | Author 安西 洋之