田中元子『建築家が建てた妻と娘のしあわせな家』を読む

日本に何人の建築家がいるか正確に知りませんが、それなりの数の建築家がいると思います。あるソースでは一級建築士は30万台という数が参考に出ています。試験の合格者の総数がそのまま現在の数にならないから、正確な数字は把握しずらいのでしょう。そして街に出れば、あのビルもこのスタジアムも建築家が設計したと調べれば分かり、「さすがだね」とか「目立ちたいだけじゃないの」とか、それは褒められたりけなされたりするわけです。そして、そういう時に、「誰々の設計した家は住めたもんじゃないってさ。雨もりはするしさ、奥さんが言ってたらしいよ」という、どこで聞いたかも知らない噂ともつかぬ都市伝説が真実味を帯びて語られ、「やっぱりね」と同意したりするのです。

しかし、一級建築士という資格をもった建築家が、それなりに本気を出したオーダーメイドの家というのは、日本のふつうの人はあまり知らないはずです。レストランのような商業建築の内装あたりまでが自分自身も建築家の思想空間を味わえるケースでしょう。それほどに多くの住宅は大量生産メーカーの製品であったり、工務店の人が定番的な間取りで建てたものである、というところでしょう。いや、一級建築士じゃないと建築家じゃないとか言うつもりもないですが、およその目安として、建築事務所を構えて一本立ちしている(もちろん大学の先生やゼネコンの中にも建築家はいるわけですが)建築家が、その腕で、そのキャラで食っていっている。このレベルの個人邸のなかに入って、ある程度の時間を過ごすという経験をもっている人は少ないんじゃないか、と言いたいのです。

建築雑誌をみればそういう「作品」がたくさん紹介されていますが、まったく生活臭さのない空間の写真と日常語とはかけ離れている難解な表現で説明されていて、生活する場として想像をするのは極めて難しいです。だいたい、「作品」はまだ使用歴が乏しく、生活者の声が全然わかりません。だから中村好文さんの「建築家のすまいぶり」は大層面白く読めました。使用歴のある家を訪ね、しかもそこで場合によっては料理を一緒に食べ、泊まったりするのですから、えらくリアル感があります。深く入り込んだうえの感想を読むと、「作品」の説得性があがります。

さて、それでは設計者の本人ではなく、その奥さんや娘さんに旦那さんやお父さんの「作品」について語ってもらったらどうか?というのが、田中元子さんの本です。36邸が紹介されています。でも、これを読んで思いました。娘であったり、息子の嫁の愛を感じる言葉にしんみりするんだ、と。奥さんの言葉は、それはそれで夫婦愛として良いのですが、既に設計者本人の気持ちを汲んでいるので、もう少し違ったアングルの言葉を聞きたいなあ、という気持ちを読者におこさせます。それが娘だったり、もっといいのは息子の嫁の言葉なんです。また設計者本人が既に他界しながら愛着をもって住んでいたりすると、「作品」の重みがずっしりときます。設計思想が時と共に生き継がれていく幸せを存分に感じられるのですね。

この本を読んでいてもう一つ思ったのは、首都圏に住む建築家が自邸をたてる場合、親の庭に木々のある土地があり、それをどう生かしながら二世帯住宅を設計するか、というのが1つのテーマであり、2つ目はものすごく小さい敷地に如何に開放的なスペースをつくるか、ということなんですね。いずれにせよ、多いパターンは、家族が何処からでも視線をお互いに交わせる空間構成をすることです。ぼくの実際に知っている建築家の「作品」たちもやはりそのようになっているのですが、これはあるブームで一定の時期が経過すると廃れていく傾向なのかどうかっていうのは、かなり気になるところです。オープンというコンセプトの行く末は、こういうフィールドでもよく見ていきたいなあ、と思いました。大きな社会のオープンだけでなく、ということです。

ところで、「建築家が建てた夫と息子のしあわせな家」というタイトルの本はいつ出るんでしょう?

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Category さまざまなデザイン | Author 安西 洋之