グローバルとローカルの狭間にある言葉を聞いてみる

今の今、グローバル化万歳と大声で言っている人はかなりおめでたい人で、たとえ表面では肯定するフリをしながらも、裏では時代は変わったと思っている人が増えているでしょう。一部の超巨大企業にみるように、まったくそういう世界がないわけではないけれど、多数派にとってはグローバル化に遅れるなというのは戯言に近くなっている。

富山和彦『なぜローカル経済から日本は甦るのか GとLの経済成長戦略』は、そういう流れをバサリバサリと説明していて、その多数派とはローカルのサービス業であるとご指名がかかっています。

交通や医療など公共性の高い、ローカルにどうしてもなくてはならない業種は他地域と競争することがなく、これらが消滅することはありえないのです。しかし、その生産性が著しく低くてもローカルを支えていけるとは言えない。したがって、この分野をどうするか?がテーマになっています。どんなに小さいマーケットでも世界の上位に入れればいいけど、そうではなない中間的な製造業には未来がないようなことを書いています。グローバル企業が何らかのプラスの波及を多数派に及ぼすことがないことはないが、それを期待していても良いことはないよ、というわけです。

全体としての流れはそうであるとして、この論の前提にあるグローバル化は不可逆であるということを「信仰」して良いのだろうか?という疑いは残ります。以前、シンガポールでインドネシアなど他アジア市場向けのデザインを行うと、政府から助成金が出ると聞き、ふざけたことをしているものだと思いました。それぞれの国のクリエイティビティ向上を妨げることで、自国のステイタスをあげる仕組みを作っているわけです。グローバル化のモデルをとっているシンガポールの裏をみる感じです。

が、エゲツナイのはシンガポールだけでなく、ドイツもそうです。『グローバリズムが世界を滅ぼす』のなかで、フランスのマニュエル・トッドが、こう語っています。

グローバリゼーション論の決まり文句の一つによると、グローバリゼーションは労働コストの低い新興国と先進国の衝突だと考えられています。もしかすると根本のところではそうなのかもしれませんが、実際に行われていることを見ると、事態は違います。各国は、近隣国を競争相手にすることで、グローバル化した世界の中で生き延びようとしています。ドイツがどの国を相手に自国の経済や産業、金融のバランスを取ろうとしているかといえば、それは自国のパートナーに対して、つまりフランスに対して、イタリアに対してなのです。

ドイツの労働費20%の抑制策を指しています。アジアでも同じで、中国はタイ、ベトナム、インドネシアを叩き潰すことを狙っているというわけです。シンガポールの上記の例も同じです。世界で唯一最高の場所ではなく、ある広域でのボスになることが、グローバル化の現実であると示しているのです。トッドは米国のコアの人たちも自由貿易の見直しを画策しており、対外的には自由貿易の推進を図りながら、国内的には保護主義的な方向に苦心していると指摘しています。

これらの言説は、ぼくの現実感にとても近く、ああ、やっぱりそうなんだ!と膝を打ちました。大きな潮流を推進しながら、やや小さなエリアで逆の行動の成功に邁進するというのは、なかなか分裂症的な動きです。人の欲がもろにみえて分かりやすいとも言えますが、やはり世の中のふつうの人々には見えにくい現実です。最近、ぼくの見る限りでも、どこの国でもエリートの親が子供をアングロサクソン的な教育に進ませるしかないかと言う。本当は受け入れたくない現実であるが、1%に富が集まる仕組みのなかに組み入れておきたいという願望が見えます。

まさしくトッドはこの点を反省しています。即ち、ヨーロッパはアングロサクソンのグローバル化の唯一の対抗馬になる力になると考えていたが、ヨーロッパのなかで急速にアングロサクソン的なやり方の受容が定着してきたことが見込み違いだったと言っているのです。米国の可塑的な文化のほうがまだ将来をマシに見れるかもしれない、というほどに悲観的なことも語るのですが、今、ヨーロッパに住む面白さを再認識したというのも、ぼくの正直な気持ちです。

 

 

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Category ローカリゼーションマップ, 本を読む | Author 安西 洋之