森本作也『グローバル・リーダーの流儀』を読む

世の中には地に足がついていないといけないものと、地に足がついていなくても構わないというか、逆に地に足がつかないフワフワしていたほうが良いものがある。フワフワしているからこそお金が流れるという領域があるわけで、夜の酒場にお金を落としていく客は、フワフワ具合に自己弁護を捻じ込めるようなところがある。もちろん酒場を経営しているオヤジは地に足をつけ、客がフワフワするような仕掛けを考えるけどね。要するに商売してお金を受け取る人自身がフワフワしていちゃあいけないのだけど、ぼくが昔からフワフワしているなあと思っているものの一つに、日本のカーメーカーの車名がある。あのクラウンとかいう名前。

これ、本当にフワフワしていていいのか。もっと外面も地に足がついて良くない?日本のマーケットで売り使うモノなんだけど、殆ど横文字。英語とかスペイン語とかイタリア語とか造語とか。ぼくが昔いた自動車メーカーで「アスカ」という日本語の名前のクルマがあったが、CMがダサかったこともあるけど売れなかった。恰好自身は悪くなかったのに、マークIIとかシルビアとかスカイラインとか、そういう名前のなかにあって「アスカ?ダセイ」っていう感じに受け取られた。GM世界戦略車の日本版ということもあって日本語の名前に拘ったのかもしないが、どうも日本語の名前が受け入れにくい市場のようだ。で、これに似たやつで、企業のキャッチフレーズなんかも、やたらフワフワ感がある。そして、何よりも陳腐な言葉がずらずらと並んでいる。今だと、イノベーションやコネクトとか。

企業のビジョンなんかもそう。山の中腹にある洞穴から満月に向かって吠えている狼みたいなところがあって、月光がなくなるとひょいとどこかに隠れてしまうみたいな・・・でも、それじゃあだめでしょう。特に異なった文化の人に自社を的確にアピールできないという実践的なマイナスがあるだけでなく、ある程度構造的な世界の作り方がみえないと考えが成熟しずらい。一方、現場からすごく具体的なディテールから構想をはじめるのはもちろんいいんだけど、これ、日本文化の罠にはまりやすい。なにがというと、日本文化の良さは職人技的なアプローチが素晴らしい。が、弱みは全てのことに職人技的アプローチを適用してしまうってことだ。それが、こうしたビジョンの話をする時に引っかかってくる。

「世界観?ちょっと青く臭くない?」とビジネス界でいうのは、今は状況が変わったみたいだけど、昔、クラシック音楽や文学は学生の読むもので成熟した大人は距離をもつのが日本社会だったという「過去」がどうもついて回っているような気がする。ビジネス誌なんかでは「世界観」という言葉が出てくるし、まあ、社長との話では出てくるけど、実際のビジネスミーティングで「世界観」がまともに議論されることは極めて稀だ。というのも、どこかで「世界観」が衒学的な色彩をもっているらしい。しかし、この「世界観」がトップから現場レベルまで噛み砕けている会社が成長するんだと思う。

また、もう一つ「世界観」の周囲には気になる現象がある。日本のビジネスパーソンはちょっと先入観があるみたいで、「グローバルに考え、ローカルに動け」というのがかなり動かせぬ基本フレーズになっている。でも、これ本当に真理? 真正面から違うとはいわないけど、そんな「グローバルに考える」って一番最初にできる?ってぼくは問いたい。すべての言葉は、君の身体のなかにある経験のかたまりから来るわけで、身体のなかにグローバルなんてなく、すべてはローカルのなかのディテールからしかない。経営者だって同じだ。先に書いたように、せっかくのボトムアップ的なステップを踏む日本文化の得意な点がまるっきり生かせないまま、言葉が不発で終わることをわざわざやっている。ローカル→グローバル→ローカルという循環が適切な表現で手順だろう。こうすると、借り物ではない言葉が内から出てくるはずだ。

ローカルのリアリティを世界に「普遍性」として価値を普及させたのがカトリック教会だと理解すれば、「グローバルから考える」というのが如何に危ういかが想像つく。いくら高度1万メートルの機内で世界を考えても、「グローバルに考える」ことにはならないのだ。このブログでもよく書いているように、「ブランドとは考えの痕跡の集積である」が、そこには志向性というか方向性が必ずある。まさしく、そこで茫漠と見える輪郭がビジョンに相当するのだが、茫漠であればこそ力強いタッチでカタチを描こうとしないといけないわけだ。事例としてはえらく大きな話になってしまうかもしれないけど、そうやって何十年もかかって実現したのがEUだったというのはビジョンの明文化の重要性を語るにベストなケースだ。

本書は物語形式とチャートや箇条書きの二本立てになっている。右脳と左脳の両方を攻める工夫がきいている。異なる文化の世界でビジネスをするにあたっての苦労がどんなところに潜んでいるかを知らせるに、思いっきり敷居を下げている。伝わらないメッセージの責任は受け手にあるのではなく話し手にある、という趣旨を実践している。しかし、この本の最大の貢献はビジネス書の新しいタイプを提案していることではない。どんなに敷居を下げて読みやすくしたところで、異なった文化の人たちとロジックの回転を噛み合わせるためのコツは習得するのはえらく難しいことに変わりがない。そのことをくっきりと浮き彫りにしていることだろう。その一つの例として、日本企業がビジョンの明文化を不得意としていることがあげられている。

 

 

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Category 本を読む | Author 安西 洋之