竹中平蔵『竹中流「世界人」のススメ』を読む

日本で語られている「グローバリゼーション」論議で2つの点が気になっています。一つは、英語圏や英語レイヤーの情報や状況にあまりに偏っていることです。日常の判断やリアリティは母国語でなされていることを忘れていることが多い。普段、日本語で話している時の本音が外国語になった時に微妙に違うことを自覚しながら、他の非英語圏の現実に同様の注意を払っていないのです。「ジャパンタイムズ」の日本と「朝日新聞」の日本の間に差があるのを知りながら、その他の国の新聞にある差を想像しない。これはかなり変です。

かつて大学の先生といえば英語を含め外国語が2-3できるのは普通だったのですが、今、世界のなかで英語の位置が上昇中であることは確かながら、アカデミズムの世界において英語だけで通用しているのはあきらかに退歩です。そして、その先生たちが盛んに「グローバル人材になれ!」と声を大にしています。そこに主張する背景や経験の弱さを見ます。

もう一つは、帰国子女と呼ばれる人たちの「周囲の動向」に極端に左右されがち、ということです。だから帰国子女を持ち上げたり、仲間外れにしたりするのでしょう。日本企業が海外駐在員を増やしていったのは1970年代以降ですから、それなりの年齢の人達までが「帰国子女」です。特に80年代は「駐在員の大衆化」への転換期だったといえるでしょう。例外は沢山ありますが、日本企業の駐在員が「閉じた社会」で生活する以上、その「子女」も同様の特質をもった社会での経験しか得られていないことが多い、との傾向があります。これは帰国子女が悪いのではなく、「帰国子女=世界を知っている」という幻影を作り過ぎる社会に弱さがあります。

以上の2点を前提に、話を続けます。

数年前、友人が「日本は鎖国をしないとやっていけないだろう」と語った時、「エッ?」という顔をぼくがしたら、「知性がクローズドで良いとは言っていないよ」と説明が続きました。日本の地方をくまなく歩き、多様な世代と深く語り合っている彼の言葉は、「無理な海外進出はいずれ破たんする」との意見と解しました。心をどうトレーニングしても強くはならないのと同じレベルで、「グローバルに戦う」ことに一般的精神論は相応しくないのです。にも拘わらず、本来、そんなことを考えなくてもいい人までが足元のぐらつきを指摘され平常心を失っている。グローバリゼーションは全ての人の生活に影響を与えまずが、逆説的に言うならば、「そんなの知ったことか!」と言い放つ勢いがないと立ち向かえません。

フォーブスのトップランキングにのるようなー以前の表現では「多国籍大企業」と称されたークラスの企業がマインドや戦略面であまりにドメスティックなのは変えないといけないでしょうが、そのクラスではない日本企業が身の丈をかえりみないグローバリゼーションを「焦燥感だけで」目指して疲弊しています。従来の北米と欧州に加え、新しいマーケットに出て文字通りのグローバルで勝負できない企業は退場というのが、全てのクラスに適用されるわけではないし、百歩譲って言うなら、如何にローカルだけで生きられる商売を考え抜くか?が大切な命題になっています。

さて著者は本書の3つの目的を強調しています。

一つは、マインドの問題だ。「世界と戦う覚悟を持つ」ことが、グローバル人材になるためのスタートであり、最も重要なことだからだ。

そして二つ目は「世界を知る」ということ。アメリカ、中国、そしてお隣の韓国から日本の反対側にあるブラジルまで、現在の世界は、驚くべきスピードで変化している。本当は自ら足を運び、自分の目で見て体験するのが一番だが、どのような視点で世界各国を見ればいいのかについて、そのポイントをお話ししておきたいと思う。

そして三つ目が「世界で戦うための力を身につける」ということ。避けては通れない英語はもちろん、リーダーシップやコミュニケーションなど、さまざまな力について触れていきたい。

どれももっともな点です。読者として対象にするのは、年齢ではなくメンタリティであると著者は書いていますが、例えば高校生たちなら「世界を知りたい」と思うのが自然であってしかるべきで、特に優秀とされる生徒が「違った文化なんか面倒じゃない」と開き直るのであれば、それを正すのが誰の役目なのか?が問われていると思います。

誰しも子どものときには、「大人は完璧な存在」と思っていたのではないだろうか。大人になればなんでもわかるようになり、分別もできると思っていた。でも、現実はまったく違う。何歳になっても分別はないし、落ち着きもない。

誰もが刺激を与え、誰もが説得を試みる。そうして零れ落ちるかもしれない人とどうにか前へ進む姿勢をとっていく。そこにはピラミッドの形をした構図など一切存在しない、というシステムとメカニズムを作りゆけるか?が今の日本の社会のテーマだと思います。子供が大人から学ぶだけでなく、大人も子供から学び、そこに精神的敗北などない、という社会です。「世界人」って、結局のところ目標です。実態としての「結果」ではないのです。

今日、サンケイBIZに「『大企業の役員クラスの頭ではもう無理!」 若手は説得を諦めるしかないのか?」とのタイトルのコラムをアップしましたが、「娘がパパに教えるグローバル戦略」というアイデアを書きました。部下の提案が娘さんの言うことと近ければ肯定する確率が高くなることを踏まえ、社会意識の高い女の子たちが硬直化している企業幹部層(父親)の変質を促す仕掛けを作ったらどうかと記したのですが、その根底には「大人は完璧ではない」という認識(いや、自覚か)があります。

 

 

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Category 本を読む | Author 安西 洋之