『ヨーロッパの目 日本の目』-7
Date:08/11/28
文化が何を指すかは色々と言われますが、政治学の平野健一郎さんが『国際文化論』(東京大学出版会)で定義されている文化に、ぼくはもっともしっくりときます。このなかに「文化要素は本来複数の機能や意味を備えているのである。システムを構成する各部分は、一見、一つの機能しか果たしていないように見えるが、微細に観察してみると、いろいろな意味がこめられている。文化要素には多機能性、多義性があると考えておくことが、文化をシステムとして捉えるためにも必要なのである」とあります。
コンテンポラリーアート作家の廣瀬智央さんが、11月29日、今週土曜日から東京の小山登美夫ギャラリーで展覧会を開催しますが、題名が「官能の庭」です。ぼくが本のなかで紹介した大理石のテーブルや豆とロウの絵画も展示される予定です。
http://www.tomiokoyamagallery.com/
ぼくは、彼の書いた豆の話が気に入りました。もともと豆は貧しい食材としてみられがちなところを、彼はトスカーナで出会ったスープ、それはレンズ豆などを鶏がらのだし汁で煮込んだもので、そこに香り高いオリーブオイルを少々たらすのですが、これがなんともいえなく「貧しいのに豊か」と表現します。豆のポエジーさえ感じると書きます。
彼は説明します。フラットな空間に10数種類の豆が何千個とロウによってフィックスされているのですが、近くでみると単なる豆が遠くからみると大きな広がりをもった空間にみえ、作品を横から見ると無数の小石が広がった庭や大地に見える、と。見方次第でどうにでも自分が空間のなかに入り込めるような気になれる、と。
この豆とこれらが作る世界こそが、平野さんの言う、文化の両義性と多機能性なのだと思います。そこに文化理解の難しさやコンテクストの重要性という課題が出てくるのですが、これを悲観的に捉えるのではなく、果てしなき可能性が前面に広がっていると考える楽観性こそが肝だと考えます。即ち、「豆とは、〇〇である」と〇〇に入る言葉を決めるのは、あなた自身なのです。どこかに正解があると思ってはいけません。







