フツーに暮らしたいという気持ち

昨晩、ミラノ郊外のレストランで夕食会がありました。ぼくたち家族を「家族」として扱ってくれるイタリア人夫婦の誕生日です。旦那さん91歳。ヨーロッパ人の地理把握の事例としてよく引用する「イタリア人の描いた地図」の作者です。このレストラン、バンドの演奏とダンサーの踊りがはいってかなり煩い。メインのお客さんは20代後半から30代が多く、女性はかなり肌露出度が高い服を着ている、「91歳の誕生日をここで食事するの?」という雰囲気です。もっとシックな場所が似合うのではないかと思ったのですが、実はこの選択はオーガナイズした息子たちの「親孝行」です。派手な女の子たちが出入りする場所こそが91歳の親父に相応しい、と。下の写真でダンサーの腰に手を回しているのが昨晩の主人公で隣でニコニコしている女性が奥さんで、もう一方の男性が彼らの息子です。こういう誕生日プレゼントが「通用」する社会なわけです。

夏の地中海の海辺に出かけると、足が悪くまともに歩けない老人が水着を着て新聞を読みながら日光浴をしています。どんなに傍目に不便が多そうでも、本人はそんな目を気にする風もなくフツーの表情です。フツーであろうとし、周囲もフツーであるように対応する。しかし、実際、何が困ったことがあればフツーに周囲にいる他人に頼み、その他人はフツーに困っている状況を救ってあげます。バスの乗り降りが辛いなら、「ちょっと手を貸して」と近くにいる若い人にお願いできるのです。そんなペコペコ頭を下げずに。

最近、次のようなブログを目にしました。「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」と題する医師の文章です。

「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」

答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン 先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでし た。

その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。

この後にコメントがかなり書き込まれています。それぞれに気持ちや考え方がわかるコメントですが、「命の尊厳」の実態が希薄な印象をどうして拭えない・・・そういうしっくりいかないわだかまりがぼくの心の底に残りました。

言ってみれば、「フツーの状態であろうとするスピリット」に関する現実感が日本社会には乏しいのではないかという気持ちを抱いていたとき、91歳の誕生パーティの派手さにハッとさせられたのです。

 

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Category ローカリゼーションマップ | Author 安西 洋之