藤井敏彦『競争戦略としてのグローバルルール 世界市場で勝つ企業の秘訣』を読む

昨年末、HUB ミラノのメンバーになりました。ロンドンにはじまったコワーキングスペースですが、社会的貢献の趣旨に賛同することがメンバーになる条件になっており、世界各地20数箇所に拠点があります。以前書いたと思いますが、自分自身、学生時代から社会貢献を意識し、ビジネスと社会貢献の両立を目指して22年前にイタリアに来ました。

しかしながら、社会企業と呼ばれる世界には違和感を持ち続けてきました。「柔い」という偏見がぼくをとらえて離さなかったのです。ビジネスの余力としての社会貢献であるとの考えを持ち続けていたのです。それが同一の土俵にあがっていると実感したとき、つまり昨年になってようやく、ぼくは見方をかえる決意をしました。世界を広くみるべきだと言っている本人が情けないことはなはだしい。

NGOや社会企業家たちの間で議論されているテーマが、ビジネスのコアコンセプトに占めるに至るスピードがあまりに速くなっていると遅まきながら気づいたのです。悠長に「長期的な方向として正解だよね」と構えているととんでもないことになるとぼくの嗅覚が働きました。ぼく自身、正直に告白すれば、EUのRoHS指令(電気電子機器に含まれる特定有害物質の使用制限に関する指令)であわてた口です。欧州にあるメーカーに定期的に納入している中国で生産している製品が、同カテゴリーに入っていたからです。今から6年以上前でしょうか。しかも、その時、ヨーロッパの指令の背景をきちんと理解していなかったのは愚かなことでした。

それまでもISOの規定などを議論するとき、「その事態が生じた時に人の命はどうなる?」と間髪を入れずに問うのがヨーロッパ、「それで商売への影響はどうなのか?」とコメントするのが日米という特徴を認識していましたが、だからといってRoHS指令の動向にぼくが敏感であったか?といえば嘘になります。ぼくの反省点はここにあります。

理念や原則抜きにルールを語りえない。(中略) 日本がルールづくりを苦手とする理由の一つは、理念や原則を苦手としていることにあるのではないか、理念や原則と対面するとつい目をそらしてしまう国民的性癖にあるのではないか、と思っているからである。(中略) われわれ日本人は、みずから理念を語ることが面はゆいというだけでなく、人が理念を語るのを聞くと、裏に何かあるのではないかとすぐ勘ぐりたくなる、とても現実主義的な国民である。

この点をいつも実際のビジネスシーンでぼくは経験しています。欧州と日本の会社で契約をする際に必要な最初のステップは理念の共有であるとぼくは日本の企業にアドバイスしますが、ざっくりと言うならば、日本の企業は「技術と人間関係ができれば何とかなる」という考え方をします。お互いに経済的な利益を享受するのが目的ですが、欧州は理念→利益といくのですが、日本では技術+人間関係→利益といきやすいのです。ですから日本では「どちらがより現実的であるか?」という競争に陥る傾向にあり、ルール設定に先陣を切る意義がなかなか見いだせず、世界のビジネストレンドを後で追いかける側になりがちです。グーグルなどネット大手が米国企業であっても欧州が、それらの企業を振り回している構図をみれば納得がいくでしょう。

インターネット上の個人情報保護のルールを主導しているのは、ヨーロッパである。ヨーロッパの規制は厳しすぎるという米国側の苦情にヨーロッパは、「米国がヨーロッパと同じように個人情報保護に関する独立した規制機関をつくるのであれば、話し合いに応じてもよい」と余裕しゃくしゃくである。

理念の力もEUに味方している。ヨーロッパは「個人情報保護は基本的人権にかかわる問題である」という出発点に立つ。したがって、個人データがどのように使われるのかは、本人が管理できなければならないと考える。しかし、米国は「何か問題が発生すれば、消費者保護に関するさまざまな法に基づいて事後的に救済がなされればよい」という考え方をする。

EUがルールメーカーとして世界のトップを走り、新興国が「どうせ守れないのだから、先進的規制をコピペしておけばいいだろう」とEUのルールを国内版に適用し続けている現在、「理念には裏がある」という浅知恵で対処するのは、それこそ現実的ではないのです。どこの理念や原則においても自らの利益を図る意図があるのは当然であることを前提に、より広い範囲の人が納得する理念の確立に励むのがビジネスで勝つプロセスになっているわけです。日米企業が築いてきたプリンターのインクカートリッジのビジネスモデルを英国の会社がスマートチップ禁止法で覆そうとしたのを阻止した事例など身近な経験があるのに、コンセプトの先進性がビジネスの元であると思いきれない日本企業文化があるとしか言いようがありません。

これからフォローすべきテーマに生物多様化の減少に対する動向があります。これは遺伝子情報の希少化につながり遺伝子組み換えを実施している食品や医薬品業界に大きな影響を及ぼすはずですが、自動車業界をも直撃します。

日本の自動車部品メーカーはラジエーターなどの基幹部品を生物由来素材で製造することに成功している。しかし、化石由来の素材を生物由来に転換するということは、遺伝子情報への依存を高めるということを意味する。生物多様化の減少は、あらゆる産業に影響を及ぼす「すでに起こった未来」であり、したがって「産業外部にあるイノベーションの機会」なのである

(中略)

予想されるルールを考えれば、成し遂げられなければいけないイノベーションも見えてくる。市場から視線を上げて社会を俯瞰し、ルールづくりと自己変革を結びつけながら社会との関係を戦略的に再構築していくのだ。

生物多様化を環境保護団体が頑張っているな程度に思って傍観していると足元を掬われることが、こういうケースでも理解できます。そのうえで、市場重視でコスモポリタン的であればイノベーションをおこせる確率が増えると信じ込むのもリスクがあることにも注意を向けないといけません。

米国商務省の課長のセリフは暗示的です。

「日本の国内では政府と産業は密接に協力しているように見える。しかし、いったん日本の外になると正反対だ。米国のドイツ企業が問題に直面すれば、すぐに在米ドイツ大使館が、翌日にはEU代表部が文句を言いに来る。しかし、日本企業は問題を日本政府に伝えることすらしないようだ」

(中略)

ある世界的な米国IT企業の渉外部長は私(筆者)にこう語った。「いかにグローバルになろうと、いかに各国市場で地元化しても、最後に守ってくれるのは星条旗(米国政府)だけだ。このことは決して忘れないようにしている」 (中略) 本社の所在であるとか、幹部の国籍であるとかを足がかりに、最も頼りになる国家の力を借りているのである。

これを読み、経産省でのロビイストを経て現在エネルギー庁エネルギー交渉官である筆者の言葉だからと「現実的な深読み」をしたなら、あるいはEUの理念が経済不安を加速させているのではないかと指摘するなら、まずはあなた自身の感度調整をお勧めします。

関連ブログ

『ヨーロッパのCSRと日本のCSR』を読む→ http://milano.metrocs.jp/archives/4592

 

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Category 本を読む | Author 安西 洋之

Comment

  1. 藤井敏彦 

    安西さん

    藤井敏彦です。
    拙著をご高覧いただき誠にありがとうございます。
    安西さんのコメント、どれもわが意を得たりの思いです。
    うれしいかぎりです。
    励みにして一層精進して勉強してまいります。
    ひきつづきご指導ください。

    藤井拝

  2. hiroyuki anzai 

    藤井さん

    素早いコメント有難うございます。悔しいくらいに面白い本を書かれますね 笑