森本恭正『西洋音楽論 クラシックに狂気を聴け』を読む

ウィーンであれベルリンであれ名門の歌劇場やコンサートホールの良い席は法人会員が年間を通じて買っており、観客のかなりの数は観光客-それも外国人ーであると言われます。どこかの記事で70%は観光客と読んだ覚えがありますが正確な記憶ではありません。ヨーロッパの「過去の文化遺産」を楽しんでいる光景であることは確かです。が、本当に楽しんでいるのでしょうか?

本書の著者がウィーンのオーケストラとインドで演奏したときのこと。教養あるインテリ層がメインの聴衆の多くがモーツァルトにベートヴェンに困惑していたと言います。「モーツァルトはお好きですか?」と聞くと、次のような答えが返ってきました。

「わからないのです。違いが。モーツァルトがどれで、ベートヴェンがどれだか。率直に言って、どの作品もみな同じように平板に聴こえてしまったのですが。で、何と言っていいか・・・すみません。あなた達を批判するつもりは全くないのです。でも正直なところ、私たちのインドの音楽を聴いた時に感じる自由に動く即興性や躍動感とでもいうものが感じられずに・・・。うまく言えませんが、とにかく、これが西洋音楽というものか!という印象しかないのです」

 

10年ちょっと前のエピソードです。明治初期の日本人の西洋音楽への反応と同じです。でも違いがあります。明治初期はブルックナーやマーラーが生きていた時代ですが、20世紀後半以降、一部の「現代音楽」を除きクラシック音楽は「過去の遺産」となっています。過去の文化遺産にエキサイトすることがないわけではなく、ギリシャ悲劇や源氏物語に人は興奮するし、能に心躍らすこともあるでしょう。だが、1960年代にビートルズに頭をぶち抜かれたように、1800年代にベートーヴェンに身体を揺さぶれたように、21世紀の今、クラシック音楽を聴いている人は少ない。それはなぜか?が、本書では問われています。あるバイオリニストの言葉です。

現に私のコンサートのお客だって75%以上が老人です。本来ベートヴェンもブラームスも、いやモーツァルトだってそもそも老人向きの音楽ではなかったのではないでしょうか。モーツァルトのヴァイオリンコンチェルトは、第一番は彼が17歳、あとの4曲は全て彼が19歳の時の作品です。現代の19歳の天才音楽家が作った作品に、多くの老人たちが共感するでしょうか?

モーツァルトの曲が単調で退屈であると現代人が思うのであれば、その後にできた多くの音楽に「毒された」こともあるかもしれませんが、モーツァルトの曲にもともとあった「毒」を抜いて演奏されているからではないかとも考えられます。ここにカッコつき文化の皮肉があり、毒が抜かれて洗練されていくことによって、文化は残ります。不良の聴く音楽だったビートルズの曲が小学校の音楽の教科書にのり、学芸会で子供たちが演奏する姿を両親がニコニコして眺める・・・こういう光景を1960年代の不良は「牙が抜かれたビートルズ」と思うでしょう。エキサイトする頭の部分、ある作品を受け止めるパーツが違ってくるようになりーより知性寄りになる、と表現すべきでしょうかー歴史はつくられてきます。だから、スカラ座で「過去の文化遺産」を楽しむ日々が展開されることになります。

しかし、その過去は適当な年数である必要があり、400年も500年も昔の音楽を観光であってさえ聴くのは億劫になります。著者もアムステルダムで音楽学を勉強する修士や博士の学生たちが、16世紀のアムステルダムの知識人であれば必ず知っていた曲を一人を除いて知らなかった事実から問題を提起します。「ベートーヴェンをほとんどの人が知らない時代が必ずくる。君たちは、そのための準備ができているのか?」と。

観光が実体験による文化接触であると重要視されれば、文化はより分かりやすくサマライズされていきます。今、冒頭に述べたように、ベートーヴェンは観光の対象になってきています。そして、それとともにさらに「ロマン派の狂気」から離れていきます。「ドはドーナツのド、レーはレモンのレ」と日本では「ドレミの歌」を歌いますが、レはイタリア語のREであり、レモンは英語のLEMON です。REもLEと同じと受容する土壌があるからこそ、日本で西洋音楽が長持ちしているのかもしれない・・・と考えることは、ベートーヴェンが「かつての有名人」となる時代のヒントになるでしょうか?

 

このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加

Category 本を読む | Author 安西 洋之