ミラノサローネ2012(9) ローカルを見つめ対話する

「日本では地方から都会の大学を行くとそのまま残って就職するのがかなり一般的だと思うが、イタリアでは大学を出て地元に戻る人も少なくないと聞いてローカルの意味を悟った」というような発言を聞いて、ローカルの価値の違いについて、いい線をついているかもしれないなぁと思いました。ミラノ工科大学でのイタリアの学生と東大i.school の学生のワークショップの一場面です。

i.school の学生はメインが工学系、ミラノ工科大学はデザイン系。一部の学生を除き、今日が初めての顔合わせです。最初にi.school ディレクターの田村大さんがi.school が目指すイノベーションのあり方や、気仙沼を起点としてローカルとローカルが新しい価値を創造する狙いーMARU PROJECT- を説明。その後、学生がフィールドワークで見つけた「気仙沼の宝」ーライフスタイルや海を挟んでの外国との直接交流のしるしーをプレゼンします。次に2月に気仙沼に滞在した感想をイタリア人学生が述べ、アレッサンドロ・ビアモンティ教授が気仙沼で得たインスピレーションから繋がるヨーロッパのコンテクストを表す映像ーたとえば、エットーレ・ソットサスがみる「現代の遺跡」-を見せ、かつ学生のコンセプトプレゼンの動画を紹介しながらコンセプトに至るアプローチを説明します。

昼食をはさみ学生たちは数人のグループに分かれ、前半に説明した「気仙沼の宝」の数々のカードー表が画像で裏に説明ーを前にし、日本から持ってきた菓子を食べながら「イタリアの宝」を想起するための対話が始まります。あるモノやコトを自分の文脈にのせるとどういう説明が成立するか?というのが入口で、そこでお互いが解釈の相違に気づき、違いのバックグランドを追っていくと何らかのインスピレーションを得るというプロセスが想定されています。ぼくが各テーブルのブレーンストーミングを覗きながら思ったのは、コスモポリタン的文化ーアップル文化に象徴されるーを媒介にしないでローカルとローカルをぶつけると、かなり「身体的」「生理的」が乖離が見えてくるということです。これはどういうことかと言えば、「心や身に沁みついた」痕跡の整理のしかたはまだまだ開拓すべき余地がたくさんある、と。エドワード・T・ホールが何十年前にも提示した時間や物理的距離の文化差以上に明らかになっていることは意外に少ないのではないかと思ったのです。

ワークショップが始まる前にルカ・グエリーニ教授と雑談していて一つ考えるべきことがありました。「先月のPh.Dデザインコースで案外学生が質問しないのに驚いたんですが・・・イタリア人は街中であんなにいろいろな人と気楽に話しているのに。あれは英語で質問するという言語の問題があるんですか?」と切り出すと、「いや、言葉が原因ではない。対話を引き出すのには苦労するよ。特に教師がいる場合や数人ではなく何十人かの聴衆がいる場合、質問はぐっと減ってくる」と意外な答えが返ってきました。「でも小学校の授業なんか見ているとすごく活発じゃないですか。中学校、高校、大学ときてだんだんと閉じていくというわけですか?」とさらに突っ込むと、「そう。残念ながらそうなんだ。表面的には結構オープンな会話が交わされているようにみえて、世代間ギャップもぼくが学生だった30年前と比較しても広がっていると思う。若者と老人の会話も減少している」と指摘。「そのギャップに情報革命が相当の役割を担っている?」と別の方向に話しを向けると、「すべてが情報革命に要因があるとは考えないが、それは大きな要素だと思う」と。

今、ローカルとローカルが大都市を介在させずに直接対話する意義は、前々からぼくが想像していた以上に大きいのではないかと感じました。イタリアでのi.school の学生の活動は来週も続くので、追って考えたことをメモしていきます。

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Category イノベーティブ思考, ミラノサローネ2012 | Author 安西 洋之