サンシーロで長友を見ながら思ったこと

トリノに住んでいたころ、すなわち20年くらい前、我が家に日本人の少年を夕食に招いたことがあります。親と一緒ではなく一人の小学生です。ということは10歳以下だったことになります。彼はインテルのジュニアチームに入りたいと思い、イタリア人の家庭にホームステイしていました。彼がイタリアへ来た経緯が興味を惹きました。彼の母親が年末宝くじを買い、「どうせ当たらないんだから」とつぶやいたら、そのセリフを耳にした男の子が「じゃあ、それぼくにくれる?」と頼んだのです。ごみ箱行きの紙切れになるんだからと思った母親が何気なしに渡した紙がなんと100万円に化けました。そこからです、彼の人生が動いたのは。

「ねえ、お母さん、これぼくの好きなようにしていいんだよね」と確認を求めたー外国語は何も勉強したことがないー彼は、和伊と伊和の辞書を買いイタリア語の手紙を自分でしたためイタリアのサッカー協会に送ったのでした。「ぼくは日本のサッカーの好きな少年でぜひイタリアでサッカーを学びたい」と書いたのです。結果をいえば情熱にほだされた母親の手助けも得て、ジュニアに入るには早いしイタリア語も覚えなくてはならないということで、トリノのふつうの小学校に留学することになったわけです。

「へえ、ミランでもユベントスでもなくインテルなんだ」と夕食をとりながら聞くと、「だってインテルかっこいいじゃん。ユーベなんかださいよ」。「ねえ、もしインテルの選手になれなかったらどうするの?」との問いには、「これからイタリアとサッカーに詳しくなるんだから、イタリアのサッカーのことを本に書けば売れるでしょう?」と逆に質問される始末。親をはさまずに大人の食事の招待をうけながら、こうもはきはきと自分の意見を言う小学生に会ったこちらは感心することしきりでした。かなり小柄だった彼がイタリアでサッカーのプロとして通用するかどうかはまるっきり予想がつきませんでしたが、こういうエピソードを携えて生きていく子なんだろうと思いました。ぼく自身、自分が弟子入りしたいと思う人に手紙を送ってイタリアに来た身ですから、とても共感を覚えたわけですーこの子は、ぼくより20年早く生きている!と。

今日、久しぶりにサンシーロでインテルのゲームを観戦し長友がピッチを走る姿を眺めながら、そういえば、あのトリノで出会ったサッカー少年はどうしたかなと思い出しました。長友は1986年生まれ。あの少年はもう30歳周辺のはずですから長友より少し年上です。特にサッカー記事を追っているわけでもないので、もしかしたら彼は既にライターになっているかもしれません。あるいはサッカーを諦めイタリア料理のシェフになっているかもしれませんーだって我が家で食事をしながら、なかなかの批評をしたのですから。「何者か」にはなりつつあるのだろうと思う一方、自分のエピソードに負けることもあるよなとも考えます。

エピソードを積みあげる人生が決して本人の望む道ではないことがある。いや、その方が多いかもしれないとも思います。小学生の時に神童と呼ばれ、まったくのふつうのオジサンになっている人の多いことを思い返すと、若い時のエピソードは役に立たないと思ったほうがいいのでしょうか。というかエピソードに寄り掛かるマインドがすでに負けなのでしょう。過去は捨て去りながら生きる・・・と分かっているものの、それを率直に受け入れるのはしんどいもので、そういう他人の自然な気持ちをどこまで寛容をもって接することができるのか?が、人が生きるテーマなんだろうと日曜日の夕方にしみじみと思いました。

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Category 『ヨーロッパの目 日本の目』 | Author 安西 洋之