ミラノサローネ2012(4) 時代の先端はどこにあるか?

ぼくがヨーロッパで生活をしようと思ったのは、歴史に残る社会的インパクトのある新しいコンセプトはヨーロッパで生まれる可能性が高いと判断したことによります。この経緯は4年前に書いたことがあります。新しいコンセプト誕生の現場に立ち会いたい自ら関与したいと願い、ヨーロッパで仕事をする道を探したのでした。20代後半です。大量生産が醸し出す熱気より、時代の先端にある刺すような冷気と穴の向こうにある熱風のようなものに触れ続けたいと思ったのです。ここでいう「先端」とは技術の先端を言うのではなく、社会意識の先端を指しています。

ローマのFAOで広報官として働く山下亜仁香さんの以下の文章を読んで、ぼく自身の20代を思い出しました。

それなりに充実していたものの30歳を迎える頃「このままでいいのだろうか?」と不安になりました。同級生にはマザーハウスの山崎大祐やフローレンスの駒 崎弘樹など鴨池で語り合った理念を現実化している仲間がいるのに、自分はドバイなんかで何をしているのだろう?と思いました。圧倒的な貧富の差や持続可能 性を無視した経済発展のさなかで、それに自分も加担をしているのではないか。

ドバイといえば世界中からその富が注目される場所です。各地からやってきた人々が働いています。ワールドビジネスの動きを左右するドバイにいた山下さんは「ドバイなんかで何をしているのだろう?と思いました」と書いているのです。経済的な価値ではない社会的な価値を重視していると、「ドバイなんか」となるのでしょう。経済成長をリアルに感じ、それを時代の先端と思うなら、中東やアジアは絶好のところであり、富の先にでてくる社会問題や知的関心の動向にリアリティを感じたいならヨーロッパは良いでしょう。ある一か所ですべての要求をかなえることは難しいから旅をするわけですが、やはり生活する場所と旅先では獲得するレベルが違います。

隣の芝生は青い。が、青いことに嫉妬を抱いたり、その場にいないことで焦燥感を覚えて足元がぐらつかないためには、自分が今ここにいる理由が明確であり、「ここも人にとっては隣の芝生」であることを身をもって知っていることです。これは自分の能力や立場の認識に基づきますが、裏をかえせば、いかに全体を見通しているかにもよります。いずれの芝生も結局は一部でしかないのです。シリコンバレーには確かに多くの宝があるかもしれませんが、シリコンバレーには歴史に溶け込んで次の時代を見据えるという文化はないでしょう。しかし、ウィーンにシリコンバレーはなく米国の西側にあるわけです。

どこに行けば時代の先端を見れるということはありません。あるいは、どこにいても時代の先端は見れるものです。ピエモンテの小さな町で発信されたスローフードのコンセプトが世界に広まったことを思い起こせば、「先端」の意味はよりはっきりします。食だけではなくライフスタイルを視野に入れた時、がらりと「先端」をとりまく風景が変わるはずです。新しいコンセプトや価値にこそ人が目を開く根源があることを自覚したとき、たとえば、ヨーロッパで何を見落としアジアで何がまだみえないかーしかし、アジアが新しい道を作るかもしれないーに目はいきます。こう考えること自身がわくわくしてどきどきするものです。

たった数年前は中国に住むことがアジアの今を見ることだと思われ、現在はインドに住むことがアジアの先端であるとみられる・・・なんてことに振り回されている限り、どこに行っても何も見えないでしょう。場所ではなく、どんな価値観がリアリティをもつ世界に生きたいかが先にこないといけない。ぶっちゃけた話、場所なんてどこでもいいんです。場所にこだわっている限り、場所に囚われるだけです。でもぼくはミラノに住み、山下さんはローマにいる・・・・。それは場所以外の価値に重きをおいている結果である。

それがミラノサローネの意味です。

 

 

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Category さまざまなデザイン | Author 安西 洋之

Comment

  1. tommycoccinella 

    最近、先端だとかってコンテキストと並行現状を捕らえて、
    それに新たなくくり方や概念、システムを与えるとできるようになるのかと感じてきています。
    イノベーションとかってなんだかえらそうにカタカナで盛り上がってますけれど、
    実は冷静に遠くから俯瞰したり、地道に歴史をおったりする、地味で暗い作業の中で、
    生まれてくるもの。
    しっかり根を張って日常生活していないと生まれてこないもので、
    だからこそ、歴史があって、それが今日まで守られている欧州って、
    底力があるんだと思うのです。

    そんなこんなで、インドに実際すんでみて、差異を感じてきたり、
    なんでここが、今につながってないんだろうとか、考えることができるようになりました。
    比較文化的な見方をすると、感度が磨かれてくるのかなと。
    インド、まだまだ先端でないですが、
    分断されてない伝統のプラスマイナス含めた強さに、将来性を感じます。

    ちょっと違いますが、拝読後、「青い鳥」を思い出しました。

  2. hiroyuki anzai 

    こんにちは。

    富田さんと話したいことたくさんあるんです。いつか、ちゃんとそういう場をもうけましょう。サローネの会場じゃなくて 笑。

    昨日Tweetしたんですが、ヨーロッパの伝統と評価されている部分のほとんどは実は数世紀のことであり、徳川時代より短いスパンを拡大図でみせているかもしれないという見方もできるんですね。だから、ほんとうは切れた時代かもしれない時をどうつなぐコンセプトを生み出すかが重要ではないかともいえるわけです。これが「戦略」であり「悪巧み」かもしれないです。

    コメント有難うございました。

  3. tommycoccinella 

    そうですね!インドにはいらっしゃらない、です、よ、ね〔笑〕?
    きちんと夫も紹介したいですし。
    イタリアに7月、8月あたりバカンスにいる予定です。
    〔インドのビザの更新がうまくいけば、長い期間いられるかなと。〕
    サローネ、今年もいけないので、またすっかりお目にかかれないですし・・・。

    >切れた時代かもしれない時をどうつなぐコンセプトを生み出すか
    というの、興味深いです。
    生活のはしばしを垣間見ているだけでは、
    コンテキストにまったく沿っていないものをガンと持ってきて、
    ファッドで終わってしまう。

    折々、覗かせていただいております。
    こちらこそ、勉強になる記事をいつも、ありがとうございます!