『ヨーロッパの目 日本の目』-4
Date:08/11/8
今週、ミラノの弁護士数人とミーティングがありました。日本の会社と仕事をしたことがある弁護士がやや苛立ち気味に語ります。
「どうして、日本の人たちは欧州をまともに見れないんだ! 米国系の大規模ファームに一括して頼み、そこから欧州にコンタクトしてくる。だから、ミラノの我々はロンドン経由で日本の会社と付き合わざるをえなかったりする。でも、それじゃあ本社が何を考えているかサッパリ分からない。そりゃあ、そのほうが経費削減に寄与するかもしれない。でも、問題の対象は欧州にあるんだ。そして、決定権は日本にある」
「まず日本の人たちは、米国と日本は別なんだ。違うんだ。それを認識しないといけない」と強調します。
ぼくは、まさしく本に書いたことを言っているイタリア人弁護士の言葉に大きく頷きました。日本でよく言われる「欧米」という表現は非常に誤解を招きやすく、何の根拠をもって米国と欧州を一緒にしているのでしょうか。英米という意味のアングロアメリカを指しているのであれば、大陸ヨーロッパはまるっきり無視していることになります。そのような全く曖昧でいい加減な概念が一人歩きをしているところに、今の日本の危うさがあります。
以前、イケアの本を紹介しましたが、そのなかで、イケアは米国市場に参入した当初、米国のライフスタイルにあわせた大きなフワフワのソファを投入せずビジネスが思うように伸びず、また欧州で一般的な収納棚をそのままもっていったが部屋の大きな米国の家には不要だった、というエピソードが書いてありました。最近、ある欧州人が新聞記事の話していました。フランスの若いカップルは米系ファーストフードのお店に行きたがらず、仮にそういう店に入るときは、二階席の奥に座る傾向にあるというデータです。道行く人たちから顔を見られない場所を選ぶというわけです。
こういうエピソードには例外が沢山ありますが、ある傾向をやはり十分に語っているとみるべきでしょう。







