イタリアにイノベーションを期待する

ベルリンの空港でセキュリティチェックのX線を通過した後、回収されたハサミ、ナイフ、ライター類が透明のプラスチックケースにたまっているのを見ました。一緒にいたイタリア人のビジネスパートナーに「結構、新しいものもあるね」と声をかけると、彼は自分の体験談を話し始めました。奥さんと2人でスペインに旅行に出かけたときのことです。イタリアの空港でチェックインを済ませ、セキュリティチェックゾーンに入る寸前、買ったばかりの高価な爪切りが機内持ち込みのバッグの中にあるのを思い出しました。取り上げられるのは必至です。そこで彼らは空港内を歩きまわりはじめます。観葉植物の大きな鉢を見て「これだ!」と、鉢の下に爪切りを隠しました。1週間後、スペインから戻るとさっそく目標の鉢をめざし、爪切りを取って自宅に戻ったと言うのです。

彼はいわゆる狡賢いタイプではない。そういう人間がこのような機転を働かす。それがイタリアの一般的な風景にある。イタリア人のもつその器用さが怠惰を招きー何かのビジネスを実行する時、まず人脈の洗い出しからはじめ、適当なコネがみつからないと諦めるー、保守的な文化を作ると言われます。しかし、この「創造性」がイノベーションの源泉であるのも確かでしょう。

今週、ドイツ人やイタリア人の仲間たちと旧東ドイツを巡りながら、さまざまなことについて意見を交わしましたが、「いかにしてイノベーティブであるか?自分たちでルールをどう変えるか?」が常に底に流れるテーマでした。統一後の20年、ドイツは何をして何をしてこなかったのか?を考えながら、他人の設定したルールに従わないためにどう工夫するかをもう一方の頭で響かせていました。

グローバリゼーションの一つとして有名ファッションブランドの店がどこの空港にもあるとの現象がある一方、その空港の場所を特徴づける食材を提供することがトレンドにあります。「マルペンサ空港で美味しいモッツァレッラチーズが食べられるから少々早めに空港に着こうか」という気にもなります。iPad を眺めながら搭乗便を待つ姿はどこの空港でも見かけますが、そこで食べているものは違う。ただ、実は食べ物だけではなく、「とっさに鉢の下に爪切りを隠す発想を生み許す」かどうかに大きな違いが見られます。そして、それも保守性と革新性が表裏の関係にあるのを見つめるところから、イノベーションには何を水の上に出し何を沈めておくかという判断が、ケースバイケースで下されることになります。

「すでにモノの時代は終わり、コトの時代である」というセリフが語られることが多いです。確かにモノがモノの価値だけで売られることは相対的に少なくなっています。が、それによりコトに対して過剰な期待と幻想を抱いている。技術ではなく社会文脈の変化の重要性がクローズアップされるからこそ、技術以外の変化ばかりに目がいくのですが、「技術文脈の変化」に注目したとき、モノの威力は決して落ちていないランドスケープが広がっているのに気づきます。これを今回、旧東ドイツにある企業で感じました。相変わらずさびしい田舎の景色のなかに確実に変わりゆく部分をみたとき、モノを見ることを忘れてはいけないと再認識しました。

「とっさに鉢の下に爪切りを隠す発想を生み許す」柔軟さはイノベーションのエッセンスではないかとぼんやりと思いながら、眼下に広がるベルリンの街の光を眺めていました。

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Category イノベーティブ思考, ローカリゼーションマップ | Author 安西 洋之