「新しい発想」と「自分の言葉」を同義と考えてみる

今朝、Twitterを眺めていて東大 i.school の横田さんのTweet に目がとまりました。
yokota8 YOKOTA Yukinobu 横田幸信
神永先生「物知りであることは、新しいことを思いつくことの基盤になっているようだ」、堀井先生「どんな知識をもっているかということも大事。知識の量だけではない。幅広ければよいというわけでもない。どんな知識がアイディア創出に必要か。そこを特定する研究必要」 #ischool_kmb

 

 

これを読んで一つピンときました。かつて「捨てる!技術」を世に問い、今、家事塾を主宰している辰巳渚さんが昨日フェイスブックに書いていたことです。

今日はほぼ終日、家にいました~。ある教育雑誌の取材を受けていたんだけど、話していてふと、「ようやく自分の言葉で話せるようになったなあ」と嬉しくなりました。雑誌の記者として働き始めたのが20余年前。人前で講演などで必死に話すようになって10年。家事塾を初めて、数多くの講座をこなすようになって3年。自分の血肉のような言葉が自然に出てくるようになった! そう考えると、ひとつの仕事をして、ようやく一歩踏み出せるのに20年かかるのかなあ。ワカモノは、のんびりしているヒマはありませんね。あ、それとも、私が成長が遅いだけなのか。

「自分の言葉で話せる」ことと「新しい発想を生む」ことは一見関係ないように見えますが、「新しい発想を生む」のが単なる思い付きのアイデアではなく、長期的にも生き残れる発想とのレベルで語るなら、この二つは強く結びついてきます。ぼくは辰巳さんに「そうですね。20年。言えるかも」とコメントしたら、「安西さん、前に話してくれた「インテグレート」という視点は得がたいものでした!」という返事がありました。そこで、辰巳さんに数年前、ぼくの「インテグレート」について話したことを思い出しました。以前、「ぼく自身の歴史を話します」で書いた内容です。ぼくがイタリアに来る契機を作ってくれた宮川秀之さんの奥さんの葬儀のことです。

その マリーザさんが2003年のクリスマスに突如この世を去ったのです。数日後、ぼくは雪の積もるトリノの教会に駆けつけました。

葬儀で神父 は「マリーザは若い人たちの世話など細かいことを日々丁寧にこなしながら、いつもその先に大きな目標を設定し実現に向かい、小さな日々のことどもを将来的 に統合することに生きた」という意味のことを語ります。その瞬間、この「統合」(英語でいうintegration) という言葉が身体中を駆け巡り、「統合」とはどういうことを意味するのかが体で理解できたのです。ここにぼくのひとつの転機があります。

職業経験を車業界からはじめ、濃淡の差はありますが、それまで文化、建築、建材、工業デザイン、家具、雑貨、ハイテクといった分野をみてきました。 そして2003年は、カーナビなどの電子製品のインターフェース、それも欧州市場向けのローカライゼーションのプロジェクトにも足を踏み入れつつあったの です。これはぼく向きの仕事であると瞬時に思いました。今まで関わったすべての経験が活用できるのです。あえて言えば、「知識が分断された人間」には分か りにくい世界だろうと感じました。1990年代初め、一台1億円のスーパーカーの品質を見るようにと宮川氏から言われたことが、「職務分担された自分」へ の訣別の契機になりましたが(実は、その時からルネサンス的工房やバウハウスのコンセプトが気になりはじめました)、この2003年末のマリーザさんの葬 儀をきっかけに、自分の「人間力」そのもので勝負する心構えができてきたのです。

たくさんのことを知れば知るほど新しいアイデアが生まれるわけではありませんが、あまりに乏しい知識や経験で勝負しても確率が低いのも確かです。横田さんが参加していたイベントにおける「新しい発想」は、ぼくが引用した「自分の人間力そのもので勝負する」とはふつうつながってこないと思います。しかし、そう簡単には破綻しないコンセプトに発展する発想と考えると、この2つはつながってきます。辰巳さんの「自分の血肉のような言葉が自然に出てくるようになった!」は、まさしく、そのレベルをめざして歩んできたからだと思います。そのレベルとは、マリーザさんの例でいえば「日々の小さいことの向こうの地平線に大きな目標を設定していた」が該当します。

よく夢はでできるだけ具体的にノートに書けと言われますが、それは自分の守備範囲を意識するようになるからです。そうすると眼前に散在しているとしか思えない小さなことどもが、ある形状をもって、あるいは色分けされ、それぞれのグループを結ぶ線がそこはかとなく見えてくるような気になります。「気になる」。それでいいのだと思います。また、危険が迫っている状況で、人の視界は広がると言います。分散するディテールをまとめようとする意思もでてくるでしょう。すなわち、先に大きな目標を描く、意図的に自分を「不十分な状況」におくことが、新しい発想を持つに至る契機になります。そして、それが自分の言葉をもつことにつながります。

堀井さんが語った「どの知識が必要か」は、別の機会に書きましょう。

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Category イノベーティブ思考, ローカリゼーションマップ, 僕自身の歴史を話します | Author 安西 洋之