「ゼロから1」を分かりやすく考えてみよう

3年前、ミラノサローネの見方を説明したエントリーで、コンテンポラリーアーティスト・廣瀬智央さんの作品を連続で紹介したことがあります。その彼が、ミラノのアトリエの中にスタジオを全くの一人で作りました。2年ほど前に完成しましたが、この週末、「体験宿泊」をしてきました。「アトリエの中にスタジオって?」とお思いになるでしょう。ちょっと解説します。

フオーリサローネで賑わうトルトーナ地区からさほど遠くない場所にアトリエがあります。廣瀬さんは二次元と三次元の両方のタイプの作品を制作するため(作品はここのサイトで見れます)、作業場は広さと作業中の音を比較的自由に出せる中庭にあるガレージをアトリエにしてきました(上の写真:正面が入口。右側が従来のガレージのシャッター)。天井がえらく高い空間で、何もなかったところです。廣瀬さんは、その空間を三分割し、アトリエ、倉庫、スタジオとしたのですが、倉庫の上に新しい部屋(ロフトが表現として適切か?)を作ったわけです。テーブルの上に脚立をのせ作業しているときに誤って落下して頭を強く打ち、病院に検査入院したなどのエピソードを携え、一般人には信じがたい(!)作業をやり遂げました。

入口を入ってアトリエを見ます。左の壁の向こうは倉庫です。作業中にちょっとぼんやりするためのソファーもあります。

奥には、あらゆる道具がずらりと並んでいる作業台。手前にも、(たぶん)二次元の作品を制作する作業台があります。梯子階段でロフトに上ります。梯子のむこうに、トイレ+シャワールームがあり、その手前がちょっとした台所です。

作業台の上にあるすりガラスの向こうがスタジオです。その下が倉庫になっています。

シャワーボックスとトイレの配管も「自家製!」。もちろん、タイルも一人の作業。

スタジオ。作業が煮詰まったときは、そのままベッドで休むことも。ベッドヘッドが接する壁の反対側は書庫になっています。これらをすべて、廣瀬さんは、「アート作品」であると称しています。

昨晩、このスタジオにぼくは寝たのですがー文字通りギャラリーのなかで寝ているような気分ですー、白い天井を見つめながら、「クリエイティブな発想」って何だろうかと考えました。ガレージの何もないところから、一人で設計図を描き、一人で材料を買い集め、一人で作っていく。この仕事をやり終えたエネルギーにも驚くのですが、これらのプロセスで廣瀬さんが何を考えていたのかを、このスペースの中に身をおいて想像していたら、「クリエイティブな発想」に頭がいったのです。

ゼロから1を創ることをクリエイティブと言いやすいですが、「無の境地」になったところから「何かが閃く」ことをイメージし過ぎていないでしょうか。しかし、どうもそれは無理があるのでは、とぼくは前々から思っています。およそのところ、無の境地に達すること自身が「ないものねだり」のようです。ここで二つのことを考えます。

「ゼロから1」という時の「ゼロ」は、ある限定された領域でのゼロであって、線の引かれていない広野をイメージしてはいけないのが第一点。そんな漠然としたフィールドを対象とするのではなく、枠組みが厳然とあるエリアを相手にすることです。このスタジオでいえば、ガレージです。中庭は対象から外れています。二つ目は、対象領域にとってはゼロであるが、隣接領域においてゼロではないことが往々にしてあるとの現実を認識することです。隣接地帯(いや、遠くにあっても、もちろんいいです)に蓄積されたアイデアを持ち込んで一向に構わない、という意味です。例えば、このロフト建設に使用された材料は、ほぼDIYで販売されているものです。

実は、廣瀬さんの言う「作品」とは、「アートを住めるものにする」とのコンセプト(あるいはプロトタイプ)という意味もあります。この「体験宿泊」を通じて、実際にある空間に身をおくがゆえに思考できることはとても多いと痛感しました。

 

パンチェッタのグリルも美味しかったし・・・・。

 

 

 

 

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Category イタリア料理と文化 | Author 安西 洋之