大学の同窓会も変化してきた

昨晩、久しぶりに大学の同窓で夕食会を開催しました。ミラノでの同窓会の幹事をやるようになったのは、およそ10年ほど前からです。その数年前、たまたま東京にある大学の同窓会事務局に出かけたとき、「幹事が日本に戻って、その後、空席なので、やってくれませんか?」と言われ、あまり考えずに「いいですよ」と答えたのです。正直にいえば、名前だけ書いておけばいいや程度のことしか考えていませんでした。そうしたら、時々、電話やFAXが届くようになりました。「ミラノで通訳を紹介してくれないか」「どこかお勧めのレストランを教えてくれ」「トスカーナの宿泊できる修道院はないか」・・・と問い合わせがくるようになりました。

今から思うと、「ネット検索時代」「SNSでの情報収集」前夜であったのだと思います。ネットは普及しはじめていましたが、データがそこまで蓄積されていなかった。掲示板やメーリングリストで外国の情報をとることが可能であっても、やはり人を経由した情報への信頼性が高かったのだと思います。そのように、自分ではこなしきれない問い合わせを前にして実行したのは、「名簿の作成」「定期的夕食会の開催」でした。名簿には卒業年度、学科、住所、電話番号・・・というお決まりの項目が並び、メールアドレスがない方もいたので、FAXや郵送で夕食会の開催を連絡するという手間も必要でした。

その時に意外に思ったことがあります。20代から30代前半の卒業生が多く集まってきたことです。それまで海外で日本人が集まることに拒否感を示していた世代が、それも学校の同窓というつながりで集まってきたことに意識の変化をみました。一つにはNYの911で、友人や家族の絆を強めるとの現象が世界的に広まったことがあります。それと、それまでの滞在年数が大きな指標であったピラミッド構造が崩壊しはじめてきたのです。必ずしも長く滞在していることが評価の対象ではなくなってきました。だから、誰でも気楽に参加できるようになった・・・というように空気が変わりました。

経験年数が多いことによる情報量があまり重要ではなくなり、それぞれの関心領域にしたがったところで繋がれるから、それまでの「同窓会?なんか駐在員の上下関係がそのままの世界なのでは?」というイメージがなくなってきたと思います。もちろん、これはぼくが卒業した大学に特徴的な現象なのかもしれませんが、集まる契機が複数存在するから、逆説的ですが、「旧タイプ的」な存在が相対的に軽くなったのです。

2005年あたりからSNSが普及してくるに従い、この傾向はより強くなってきます。それまで大学の事務局経由でコンタクトしてきた方が多かったのですが、だんだんと減っていきます。一方で、ネット上で同窓であることが分かり、ネットのオフ会という要素が入り始めました。勝手にネットワークができるから、以前のように定期的な夕食会をアレンジする必要がなくなり、それぞれが集まるようになったのです。そして、同時に以前は大切であった名簿が不要になりました。住所や電話番号を記している必要がなくなり、メールアドレスだけあれば、充分です。あるいは大学のSNSやフェイスブックのページが活用されつつあり、メールアドレス自身を知らなくてもすむようになりつつあります。

しかしながら、それは全員ではありません。Twitterで集合をかけるとなればTwitterを全員やっていないといけないし、フェイスブックもそう。アカウントをもっていても、あまりログインしていない人も少なくありません。とすると、やはりメールで告知するという手段が一番漏れがありません。10年前から比較すれば雲泥の差で連絡が楽であることは確かながら、「やはり、フェイスブックでクリックした結果だけみれば楽なのだが・・」という思いは残ります。この統一した手段が常に一定しない、というのが世の中なのでしょう。必ず、前のツールと今のツールが混在し、そこで葛藤が送信側にも受信側にもともなう・・・これを余裕もって眺めるのが同窓会という効率性とは無縁の社会の楽しみ方でしょう

因みに、「ミラノのレストランを教えてくれ」というような質問はこの数年、一切、なくなりました(笑)。

 

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Category その他 | Author 安西 洋之