ミラノサローネ2011(25) 「日本型イノベーションのすすめ」

ワインにおけるテロワールはグローバリゼーションとの対であることを「ワインで考えるグローバリゼーション」でも書きましたが、これはグローバルパラドクスであり、均質化とその反作用の関係にあります。およそ、その反作用には精神性が深く入り込み、「これを今、主張しないと俺の存在感はない!」という思いに囚われていることが多いです。それがゆえに、共感を呼びやすいという側面がありますが、それがゆえに市場は限定的である、というもう一面があります。しかし、限定的であるがためにありがたみがあり、ワインの場合であれば、生産者とのダイレクト感が飲み手をより喜ばすわけです。いずれにせよ、グローバルパラドクスというタームの通り、どちらに転んでも安心できない危うさがあります。そして日本のデザインの場合、このパラドクスに陥ると、この連載で何度も指摘しているように、「ミニマリズム」「曖昧なフィロソフィー」「男性的より女性的」「合理より直感」「動より静」「強いより弱い」という言葉が尊重されやすくなります。フオーリサローネの「暗い空間のインスタレーション主義」とでもいうべき表現も、この範疇に入るでしょう。

「日本型イノベーションのすすめ」は小笠原泰さんと重久朋子さんの書名です。米国的な「意図的イノベーション」ではなく、日本は「非意図的イノベーション」のあり方を提案していますが、このなかに「文明神話と文化トラップ」という章があります。ぼくが文明と文化の使い分けを知ったのは、高校生の時に聞いた桑原武夫の講演会だったと思いますが、文明とはハードやインフラを指し、文化はそれ以外であるという説明で、このときにぼくは「文化開眼」したと自分では思っています 笑。ただ、「ヨーロッパの目 日本の目」を書いて文化を語り始めたとき、文化を「人間の内面的外面的活動のすべて」と捉え直したので、最近、文明という言葉は使いませんでした。しかし、小笠原さんは、この文明と文化という言葉の使い分けで、ものづくりにおける進度を見事に明確化しています。「文明は必ず死ぬが、文化は死なない」という村上陽一郎の本の言葉が引用されていることで、この2つの言葉の定義が分かるでしょう。

さて、その進度の話ですが、小笠原さんはコンソール型ゲーム機器の衰亡を整理したうえで、ハード商品がもつ運命を説明しています。全てのジャンルの製品に、このフェーズが対応するわけではありませんが、考え方のリファレンスになります。冒頭のジレンマ部分を赤字にしました。

フェーズ1:ある技術が、「文明の利器」として、これまでにない利便性や快適性を実現するハードを可能とする。こうしたハードは、「技術の絶対性能がより高いハードがより良いハードである」という公理(一般に通じる道理)のもとで、文化の違いを超えた一般受容性をもつ。各社はこの大きなサイズをもつ市場で首位に立つために、技術競争に明け暮れる。つまり、高度な技術に支えられた「万能なハード」が登場するフェーズ。

フェーズ2:もっとも、「文明の利器」が利便性や快適性という単系的評価軸での受容である以上、「文明の利器」として評価される個々のハードには、自ずと寿命がある。つまり、現在「文明の利器」として高く評価されているハードも、同等以上の利便性や快適性を提供する他のハードが登場すれば、容易に首位を奪われる。しかも、技術の全体的なレベルが向上するに伴い首位交代の可能性が高まるため、市場の成長とともに、個々のハードの一般受容性の持続期間は短縮される。しかしながら、依然として「技術/ハード万能論」が妥当性をもつフェーズ。

フェーズ3:技術の進歩に伴い、ハードの技術(=機能)レベルが市場に対して過剰になった時点で、新モデルが旧モデルを超える訴求力を示すことができなくなる。市場からの合格点以上の技術(=機能)レベルをもつ新旧のハードが乱立し、それらが等しく市場から評価されるという状況が生じるフェーズ。前フェーズでは、個々のハードの価値の一般受容性の継続期間の短縮は生じても、ハードの価値が一般受容性をもつ状況は維持されているのに対して、このフェーズでは、一般受容性をもつハードの価値の存在自体が危うくなる。

フェーズ4:機能を媒介とした技術の訴求力の減衰にともない、自社ハードの差別化を行うために、価値の中枢を「技術」から「文化的適合」へとシフトさせる。企業の関心は単系的技術競争から各文化への適合へとシフトし、一般受容性ではなく固有受容性が重視される。「技術/ハード万能論」と「ハード万能論」が、いずれも積極的に否定されるフェーズ。

成功要因に「適格要因」と「差別化要因」の2つを挙げ、前者を前提に如何に後者を上手く使うかが肝で、文明を適格要因、文化を差別化要因としてみています。クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」が文明内のイノベーションをモデルとしたのに対し、上記は2つのバランスをテーマとしています。文化を文明の範囲で認識するのは米国特有であり、そのためこうしたモデルが成立するのだと小笠原さんは指摘します。また、ハードとソフトのポジショニングも、これをベースとすると考えやすいでしょう。

小笠原さんは、このフェーズを日本企業のハード設計の方向として6つのパターンをあげていますが、多機能化などは文化価値訴求の志向としています。そこが日本市場が孤立化しやすい理由でもあります。文明にはそれはそれで神話性ーより一般受容性を高めることだけに腐心するーの罠がありますが、文化についても同じトラップがあります。

「文化」は自己のアイデンティティと密接に関連しているために、内向きな凝集性を高めている一方で、他文化への無関心を引き起こしがちです。外部の異質性の存在を認識することを通じて、内部の同質性を確認・強化するというグローバル環境のなかでは、自己のアイデンティティを守るために、無意識のうちに、自文化の違いを自文化の優位性に転化しがちです

この背後に、文化的要素と文明的要素の混同という大きな問題も存在しています。そして、こうした無意識な自文化の絶対視が、自国で評価されるものは、他国でも同様に評価されるはずだという錯覚をもたらす、言い換えれば、他文化に対する感度を低くするリスクを高めているわけです。しかし、自己のアイデンティティを支える自文化を中立化するという行為は意外と難しいのです。その意味で、無意識に行われる他文化に対するナイーブまでの感度の低さは、常に文化の中立性を意識しておかないと、容易に陥る文化トラップというべきものであると思います。

サローネで気づくのは、この心理的罠をどう回避するか?ということを意識していない日本企業が多いことです。自文化に走りすぎがちなところにどうストップをかけるか?これが「ミラノサローネで世界進出」の大きなテーマになるでしょう。

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Category ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之