ミラノサローネ2011(22) 実はラーニの作品だった

なるほどねぇ、と思うことがあります。なにか気になると思うデザインは、やはり何かある。どこかひっかかるものは、背景にそれを考えた本人の論理的動機や思考が強くあるケースが非常に多いのです、ぼくの場合(と、一応、他人を巻き込まないことにしましょう)。あまり深く考えないで偶然にアウトプットがでたということもあるでしょうが、そこに印象に残るものがあるなら、デザイナー本人はあまり意識していたわけではないが、常々考えることや視点が反映されているのでしょう。

今回、サローネを巡り、このブログでいくつかの作品を写真で紹介しました。実は正直に言うと、デザイナーの名前を確認していない作品も多いです(趣旨が作品の横にあれば、なるべく読みますが、名前を見ても記憶に残らないというのが正確かもしれませんが・・・ぼくのデザインの見方は多分に管啓次郎さんの『本は読めないものだから心配するな』の読書論と近いところがあります)。しかし、ぼくが気になっていた複数の作品が、同じデザイナーであったと後になって知ると、「なるほでねぇ」となるのです。似たジャンルのデザインであったり、それこそ誰にも分かるアイコンを残すカリム・ラシッドのようなデザイナーの作品であれば別です。カテゴリーが全く違い、アイコンのようなものが見当たらない。が、今回、ある二つの作品に「なるほどねぇ」がありました。まず一枚目の写真。これです。

「チャイナタウンを客観視」で、ファブリカ・デル・ヴァポーレにおけるミラノのチャイナタウンをテーマにした展覧会を紹介しました。イタリア国旗がウィンドウにかかっていますが、これは中国人の靴屋です。この店の前を貨物を運ぶ青年が通りかかってしまい写真では見えませんが、このイタリア国旗の下には、次の作品が置かれていました。

鳥かごの中にある赤い靴。展覧会では店の写真とは別の所に展示されていて、説明もないので意味が分かりませんでしたが、何か中国とイタリアを結ぶことを暗示しているのだろうと思いました。他の展示が純中国製品か純イタリア製品のなかで、これだけは違う匂いを感じたのです。そして後日、この赤い靴は中国を表し、イタリアという囲いに閉じ込められているというメタファーであることが分かりました。数年前、チャイナタウンで中国人とミラノ市の間で衝突がありましたが、その事件を「イタリアに支配される中国人」という構図で捉えたのが、この作品だったのです。このデザイナーの作品を、ぼくはボヴィーザのトリエンナーレでも見ました。Independent Design Secession展にあった一つです。

 

人は生み出した人工物の増殖を制御する術をもってこなかったために、大いなる災難に悩まされています。元上智大学社会学の教授、八幡さんが「この問題は、人がなぜ欲望をもつかを突き詰めないと解決できないだろう。鳥は自分の巣があれば二つ目の巣をもとうとしない。しかし、人は二軒目の家を持とうとする。これは欲望の問題であり、この欲望をもつ心性を解き明かさない限り、人工物の増殖を制御することは不可能だろう」とぼくに語ってくれたことがあります。ぼくたちは、「そんなに豊かじゃなくていいいじゃない。もっと適度なレベルってあるんじゃない?」ということを言い勝ちです。しかし、その言葉は自己増殖への慰め程度にしかならず、およそ凡人は欲に流されるます。

上の写真の作品は、こういうテーマに近いところを考えています。で、以上の作品をぼくはブログで触れたわけですが(トリエンナーレの写真は掲載しませんでしたが)、このブログを読んだ建築デザイン事務所(ラーポ・ラーニ Lapo Lani)から、ぼくが何も知らないまま、彼の作品を紹介し続けていたことを指摘されました。だから、「なるほどねぇ」と呟くわけです。五感レベルの感覚における相性もさることながら、論理的思考における相性は普通人が思う以上に記憶に残る一例といえるでしょう。

 

 

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Category ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之