ミラノサローネ2011(17) プラスチック「回帰」・・・ではない

プラスチックは1950年代から70年代にかけて新しい素材として、木や金属に置き換わる位置を占めるべく大躍進を遂げました。スカンジナビアデザインからイタリアデザインに中心軸が移動したのも、プラスチックが大きな要因だったと言われます。技術イノベーションが世界のデザイン図を変えたわけです。「これもプラスチックでできるんじゃないか」「プラスチックを使えば、もっと自由な形状を表現できるのではないか」という自問が飛び交っていた時代です。

その後もプラスチックはどんどんと進化し、当初の安物イメージを脱して質感の高い仕上げも可能になっていきます。日経ビジネスオンラインの「ヴェルサイユ宮殿に村上隆が連れてこられた」で書いたように、村上氏の作品は17世紀バロック建築の空間で全く素材的な違和感を醸し出しませんでした。しかし、石油を原料とする限りにおいて激動の中東政治と無縁であることはなく、あるいは環境面からリサイクルをせまられ、プラスチックはかなり悪者イメージを時々に背負わされてきた運命があります。「反エコロジーだ!」と声を高める人にとって、自然素材こそが尊重すべきもので、木はもちろんのこと、セラミックも同じ理由で「愛され」てきました。

今年のサローネを眺めていて思ったのは、「エコロジー」という言葉の終焉。それに替わった「サステナビリティ」という言葉も次の言葉を探している。そういう予感です。もちろん、それぞれの言葉自身がいい悪いではなく、その言葉の意味するところ、つまりは「範囲や深さ」がより再定義せざるを得ない状況になってきたということです。言い換えれば、人々がそれだけ大きなテーマであることを自覚してきた証でもあります。そして、現在、日本が抱える災難が、この再定義作業のスピードを加速させています。

更にモノのレベルに落としていうならば、リサイクル技術のおかげでプラスチックが悪者と見られると恐れる必要がなくなったため、デザインを考えるに素材の選択がより自由になりました。それをプラスチックゆえの多彩さでカラフルに表現しています。時代の心理的背景でポップなカラーを求めるだけでなく、素材の制限条件からの解放感がそこにはあります。この現象をプラスチックへの回帰と言ったら間違えです。プラスチックの戦力復帰と表現すべきです。加えて、ボリューム感。昨年も一回り大きくみせる「膨張感」について触れましたが、従来の1.2倍から1.3倍のサイズ感がとても「今的」です。だから不幸なことに、サテリテでみる日本のデザイナーの作品にある質感やサイズ感が、文化的差異による表現の違いだけでなく、トレンドからあまりに外れたイメージに見えてしまいます。残念です。(サテリテについては別のエントリーで書きます)

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Category ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之