ミラノサローネ2011(16) MiArt を見る

MiArt はミラノのアートフェアです。イタリアではボローニャやトリノのアートフェアが注目されやすく、ミラノのそれは若干影が薄いとされています。そのアートフェアが、今年、サローネの前週に開催されると聞き、これは行ってみるべきだと思いました。プログラムを見ると、ミラノがアートとデザインあるいは建築やファッションとの連合で、経済的価値を高めていく戦略をアピールしようとの意図が伺えます。今でこそサローネは世界中からあらゆるジャンルの人が集まるデザインの祭典になっています。が、かつては家具見本市以上のものではありませんでした。今、その力を使って、更なる変容を狙っているのでしょう。

アート界は、これまでサローネにあまり関心を向けてこなかったようです。個々のアーティストが何らかのデザインに関わることがあっても、サローネにあわせてアート界全体が何かをやるという意思が見えることはありませんでした。ビジネスセンスのある人間が、「これでは、あまりに経済効率が悪い」と考えるのは当然でしょう。また、ファッションブランドもアートをコレクションしていますから、この資産価値の向上と有効利用を高めるための土壌があればと願うのも自然です。ことは、このように夫々の事情と要望の重なり合いで形成されていくと考えるのが妥当でしょう。そして、これを戦略的にどう練っていくかが大切です。その実践例が、このミラノで進行しています。

今年のギャラリー出展数はかなり絞られています。アーティストを自分で育てていくのではなく、有名な作品の流通にコミットするセカンダリーのギャラリーは少なくなっています。そして、何よりもミラノを中心としたイタリアのギャラリーがメインになっています。ワインにおけるテロワール戦略と同じだと思いました。ロンドンやNYと同じであることを目標とするのではなく、国際的に活躍するアーティストを擁するミラノ(あるいはイタリア)のギャラリーであることに意味を持たせるのです。だから、他のアートフェアと傾向が違っていることこそがアピールポイントになる可能性があります。まだ、それが成功するかどうかは分からないですが、「現在進行形」で伸びる芽をよく観察しておきたいと思います。

会場を歩きながら思ったのは、抽象的思考ほどユニバーサルで時を超えるものはないということです。作家の多くは、何らかの抽象的思考を経て構想を組み立て、さまざまな表現方式をとっている。その思考が、ぼくの脳裏にダイレクトに入り込んでくる。そんな感じをもったのです。抽象思考で説得できる強さを思いました。表現されたものが抽象か具象か、写真か彫刻か、それには関係なく、ある思考がそれ自身で伝えられる。もちろん、多くはぼくの一方的な理解で、作家からすると誤解であるかもしれません。しかし、一般によく言われることと反対に、感性的な部分での共有より、抽象的思考のほうが、よほど共有性が高いのではないか。そう考えました。感性は個別ケースにあまりに依存しますが、抽象的思考はいわば大きな枠組み、キャンバスを用意することができ、個別ケースに頼らない。

この抽象思考の緻密度や充実度が、実は作品に「強さ」を導くのではないか。別の言葉で言えば、「コンセプトがしっかりしている」ということになるのでしょうか。

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Category ミラノサローネ2011 | Author 安西 洋之