「知る」に至る経緯

日本で茄子といえば、こんな大きさでこんな色というイメージがあった。皮が黒か紫をしていて、まあ、そんなに大きくない。だから、イタリアに来て大きい茄子を店頭でみつけ、「いやあ、これを食べるのか!」と驚いたものだ。日本と同じ料理に使っても、当然、味が違う。歯ごたえもあり、大味になる。一時、苦手意識もでてきた。そして、時を経て、イタリアの茄子に馴れた。が、最近、奥さんが八百屋で買ってきた茄子をみて、またビックリした。縞々の茄子だ。

こういう茄子を見たことがなかった。そこで記念にツーショット。一体、茄子の色ってどのくらいあるんだろうとウィキで調べると、こうある。

日本で栽培される栽培品種のほとんどは果皮が紫色又は黒紫色である。しかしヨーロッパやアメリカ等では白・黄緑色・明るい紫、さらに縞模様の品種も広く栽培される。

なんだ、こんなにも様々な茄子がヨーロッパにはあると、はじめて知った。グーグルの画像検索でも黄色い茄子がでてきた。ここで、ふっと、思った。何かの機会にウィキで茄子を調べ、上述を読んでいたとすると、この縞々の実物をみたときに、「ああ、これだったのか!」と叫んだはずだ。頭にある知識がリアルで確認されることで、知識がより深くなるという実感をもつ。しかし、今回は、ウィキで知識を仕入れたことで「ああ、こんなにも知らないことが多いし、実際、イタリアでも見れていないことが多いよな」と反省もする。

文字情報をあとでリアルに確認することと、リアルに見たことを文字で確認することの間に、どういう違いが生じるのだろう。後者である、事前の勉強をしないでリアルな経験を獲得し、そのうえで文字で知識を深めると良いということが理想的であると言われる。子供の世界でいえば、幼稚園くらいまで。小学校の低中学年までは並行。そして高学年になると文字経験が飛躍的に増大していく。俗にいう、頭でっかちになっていく。だからこそ、リアル経験の増幅がキャンプなどでサポートされていく。

現実的には、リアル経験だけで描ける地図は小さすぎ、文字情報で大きな地図を描き、適切なリアル経験の分布で、その大きな地図の妥当性をサポートする。つまり、リアル経験<文字経験であることは確かなので、文字経験にリアル経験がはまり込む確率の方が低いはずで、これに遭遇した場合は、喜びが大きいだろう。逆の場合は、茄子の例のごとく、「そうか、自分は勉強不足なんだな」と思うことが多い。もちろん、「自分のリアル経験をこんなによく説明してくれていた人がいるんだ!」と喜び、弟子入りする場合もあるが・・・・。

このエントリをはてなブックマークに追加このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをLivedoor Clipに追加このエントリをYahoo!ブックマークに追加このエントリをFC2ブックマークに追加このエントリをNifty Clipに追加このエントリをPOOKMARK. Airlinesに追加このエントリをBuzzurl(バザール)に追加このエントリをChoixに追加このエントリをnewsingに追加

Category イタリア料理と文化, ローカリゼーションマップ | Author 安西 洋之

Comment

  1. [...] This post was mentioned on Twitter by 安西洋之 and shint@ro→, 安西洋之. 安西洋之 said: 文字情報をあとでリアルに確認することと、リアルに見たことを文字で確認することの間に、どういう違いが [...]