2010年から2011年への渡し舟(3)

TIMEが「今年の人」にFACEBOOKのMark Zuckerberg を選んでいます。その記事を読みながら、クローズドな世界でありながら色々と覗き穴がセッティングしてあるところにヒットの要因があったのかなと想像したりしています。ぼくの周囲にいるヨーロッパ人の間では随分とFACEBOOKが生活の中に入っており、オフィスでひょいと後ろからPCを覗くとFACEBOOKの画面がでています。「なんだ、仕事してるのかよ」とも思いますが・・・。一方、日本の知人たちは「FACEBOOKの面白さはよく分からない」という人が多いです。170万人のアカウントの20%以下しかアクティブではないという背景がよく分かります。

今年は日本でTwitterが一般に認知された年です。鳩山首相が年初にTwitterをはじめたのが、その大きな契機でしょう。ユーザーは1500万人を超え、他のSNSと比較しても圧倒的な普及を遂げました。ただ、これも皆が皆、使いこなしているわけではなく、「アカウントはもったけどどう使えばいいの?」という人は多いようです。一つ感じるのは、1年前よりも「140文字で何が言えるんだ?そんな短い文章でコミュニケーションが図れるはずがない」という批判がじょじょに減ってきた感はもちます。この批判のもとにあるのは、ポータルデバイスのSMSは別の世界ですが、ネット特有の「癖」とも関連のあることで、基本的にネットは文字数制限のない世界であり、ブログも書きたいだけ書くのが当たり前という「馴れ」のうえに成立してきました。

文字数制限は紙媒体ゆえにあるものだという考え方の反対側に位置するのがネットの文字数に対する「感度」であったと思います。が、Twitterの140文字に強い拒否感が出る人は、紙媒体信仰派をも多く含んでいたような気がします。しかし、この拒否感はネット全般に対する不信感があるので、この人たちをここでは除外しましょう。問題とするのは、ネットの世界に馴染んでいて文字数制限に違和感をもつ人たちです。ぼくが思うに、こういう人たちは、もともとメッセージを伝えることにさほど敏感ではなかったのではないかということです。

メッセージとは何文字だったら伝えられるというものではありません紙媒体で一番重要だった文字数制限とは、紙媒体がゆえに制限するだけでなく、メッセージとは常に制約条件のなかで成立することを確認させるものでした。人は君(ぼくのことだ!)のだらだらと書かれた文章に付き合うほど暇ではないし、コンパクトなメッセージほど理解への働きが強いという傾向もあります。そういうことをTwitterを通じて分かってきた人が多くなったのだろうか、とぼくは想像しています。しかも、TLに流れる他の人のメッセージとの共時性や、その人がどういう経緯でこういうことを語るのかが分かることで、コンテクストの重要性にも気づくことが促進されたとも言えそうです。Twitterの140文字は、それだけで独立された世界はあり得ないことを知らしめる契機になったかもしれないと思うのです。

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Category さまざまなデザイン | Author 安西 洋之

Comment

  1. [...] This post was mentioned on Twitter by おやす, 月野うさぎ and てつやっく, 安西洋之. 安西洋之 said: [...]