シンシア・スミス『世界を変えるデザイン』を読む
Date:10/9/5
今年のはじめ、総合研究大学院大学の『人工物発達研究』に寄稿した「ヨーロッパ文化のロジックを探る」に以下の文章を書きました。
八幡康貞は「人間が人工物を作ったわけだが、その人工物が人間自身の変化を求めている。かつて自然から身を守ることに懸命だった人間は、今、人工物の逆襲におびえている。なぜか、人工物は自己増殖するという傾向があるにもかかわらず、人間はそれを制御するシステムを事前に考えてこなかった。スパムメールもその現象の一つ。鳥は一つの巣をつくった後、二つ目、三つ目をつくらない。人間は何故、二軒目、三件目の家を作ろうとするのか。そこにある人間の心性に迫らないと、人工物を巡るシステム構築はできないだろう」と語る。
この部分がもつ意味を本書をあとがきまで読み、もう一度考えます。下記は監訳者の槌屋詩野さんのあとがきです。
今や、先進国や富裕層の社会には「ウォンツ」が溢れている。テレビをあと10インチ大きくしたい。デジタルカメラを高画質にしたい。水にフレーバーを入れたい。その変化が起きても生活様式が大きく変わるわけではないもないが、ただ「ほしい」のである。一方で、本当に解決すべき「ニーズ」に対する対策はなおざりだ。(中略)
“Design that matters”は本書で頻出するデザインNPOの名である。「生活が本質的に改良するデザイン」とでも訳そうか。デザインにとって「美しさ」は重要な要素であり追求すべきものだ。だが、同じ時間をかけるなら、デザイナーたちも自分の人生の時間を”Design that matters”に費やしたいと考えるのが当然ではないだろうか。
原題の「残りの90%のためのデザイン」とは、貧困状況に住む人たちのデザインを言っています。単にプリミティブな生活を進化論的に発展させようというのではなく、そこにあるマテリアルと先進国で認知された科学を応用して経済的な困窮からの脱却を図ろうという意図があります。本書にはいくつかの事例が紹介され、その一部が六本木のデザインハブやアクシスでも現物が展示されました。意図はまったく間違っていないし、この方向は促進すべきものです。しかし、どこかひっかかるところがある。それは人件費コスト競争で移動を続ける生産国問題と若干ダブったところが見えるような気がしていたのです。
先を行った地域の人間が、「ここは、案外つまんかなったよ。だから、そんなに苦労するに値しないかもね」と言っても説得性をもつわけがなく、「君たちがやる気にならないとどうしようもないんだよ。そのための仕掛けが必要なんだね」と言えば、一見、分かったような気になります。本書で紹介される内容が、そういう簡単な言葉で表現し尽されるわけではないのですが、どこかひっかかるとすれば、八幡さんの指摘する二軒目の家をもとうとする人間特有の心性への関心をいずれかの場所に置き忘れたままのアプローチに、実効性の不足をどうしても感じてしまうのです。
繰り返しますが、ぼくは本書を批判しているのではありません。ここで書かれている苦労もそうだし、そこから導き出されている結果については高く評価するし、その進行状況にとても興味があります。プロジェクトに参加している人たちのいくばくの人は、上記の人間の心性に迫ろうと思っているでしょう。それが確かでないはずがない。リーマンショックの後でも、あれだけ人間の欲望自身が関心の対象になったのです。しかし、どうも人間の欲望、あるいはそこにある心性について、アンタッチャブルな自己肯定がないとはいえない。聖域ともいうべき領域が、多く人類の進化に寄与しながら、決して超えられない壁を是認しているようにみえて仕方がない・・・という気持ちは拭えないのです。BOP問題に付随する匂いです。
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