技術と精神性に逃げないコンテクストの創造

この数年の日本のデザイン動向を振り返ってきて分かることがあります。技術への偏りと日本の精神性への偏り。これがはっきりと出ています。経済産業省が主導してきた「新日本様式」や「感性価値創造イニシアティブ」にその傾向は出ているし、それが経済産業省だけの動向であると断言するには、あまりに同じような言説やデザインが中央官庁以外の場所にあり過ぎます。これは全体的傾向であると言ってよいでしょう。レクサスのデザインポリシーであるL Finess が2004年であり、「新日本様式」のスタートが2005年であるとの1年のずれがあったとしても、あるいはL Finessのもともとの発案が日本以外の場所にあったとしても、技術と「日本らしい」精神性への偏りすぎた志向性の表現であることは否定しがたいです。

これの何処が悪い?結局のところ、技術信仰の強い商品つくりの非はiPhoneやiPad、あるいはサムスンの製品に負けが込んでいることで散々言われており、高価な先端技術はビジネス上のメリットを生み出すことに貢献できないのではないかと見られています。実際、ミラノの家電店で日本製より安く、しかもデザイン的によりテイストがはっきりと市場よりのエアコンがあれば、日本の多機能を実現した商品ではなく韓国のそれを買うのが妥当です。ダサいデザインの高機能で高価格の商品が売れると思うほうがおかしい。しかし、それが日本製以外にはなければ、それは渋々でも買うしかない。こういうロジックです。

そして、技術信仰では立ち行けないと思ったとき、「日本らしい」精神性、いわば物言わぬ美学に突入する。外国人には分からぬであろうーと思い込んだー日本文化の奥深くにある美学をフロントラインに引き寄せ、「富士山は世界一美しい。ここに日本人の精神性が表現されている」という分けの分からない話を始めたがる・・・という傾向が顕著にデザインの動きにも出ています。加藤周一が、「富士山が美しいというのは、私もそう思います。それを日本一と言うと、どうかな?とは思うけど、その気持ちは推し量ることができます。しかし、富士山を世界一というなら、それはあまりに井の中の蛙であるといえるでしょう」と語ったのは、太平洋戦争時の日本を暗に指していたとしても、残念ながら、60年以上経た今も同じことが言える悲劇があります。

先週の土曜日、ローカリゼーションマップ研究会の第二回目の勉強会を開催しました。暑い中、定員通りの10数人の方においでいただき、スイカを食べながら議論しました。まず、「AXIS」編集部・記者で、最近フリーライターになった神吉弘邦さんに、「新日本様式」「感性価値創造イニシアチブ」「グッドデザイン賞」「Japan – Designs for the Crowded Globe」「ミラノサローネ」などを取り上げもらい、それぞれの内容紹介とそれに対するフィードバックを説明してもらいました。その後、デザイナー、デザインプロデューサー、ジャーナリスト、プランナー、学生などが各々の立場から発言していったのですが、ぼくが一番印象に残ったのは、神吉さんの出した事例から透けて見えてくる冒頭に述べたことです。

そして考えたこと。今までの自動車や電機に重点をおいた輸出振興は、シングルプレイヤーがそれなりの規模で予算をかけながら自分の商品をプロモートすることができました。だが、これからコンテンツ、食品、雑貨、家具など中小企業をメインとした商品を輸出していくに際し、個々の企業努力だけで話は済むのだろうか?ということが疑問として出てきます。殊、「日本として」という発想は不要でしょうが、仮に、ある商品ブランドを繋ぎ合わせることで大きなイメージ構築ができ、そのほうがそれぞれの商品がよく売れ、ある価値体系への認知を効率的に向上できるとするならば、それは考えるべきだと思います。コンテクストの創造です。精神性に逃げないコンテクストの創造です。

これが今週土曜日の「アジアを向いたローカリゼーション」をテーマとする勉強会の「影のキーコンセプト」になるのでは?と考えています。既に定員20人に対して9割近くの参加申し込みを受けています。ご希望の方は早めにご連絡ください。

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Category ローカリゼーションマップ | Author 安西 洋之