「ネットワーク行動学から都市デザインへ」に参加

20世紀は肥満の時代といわれ、人が身体を動かさなくても用事がすみ、そのため肥満解消のためにジムに通ったりジョギングをすることが積極的に奨励されてきました。その原因は飽食を別にすれば特にクルマ社会に象徴されがちですが、郵便代や電話代を節約するために人の家を訪問することが動機として成立しない社会になっている現在、人が身体を動かすことの意味、身体を動かして移動することの意味は重要なテーマになっています。「どうして身体を動かさないといけないんだ?」という質問に答えられないと、非生産的な人間にみられたりします。「そんなのメールですませばいいのに」「Twitterで集合かければコストも安くてすむのに」という批判ともつかぬ冷淡な目に晒されながら、あえて身体を動かすのは何のためなのか?です。

その一方、ケータイ、スマートフォン、タブレット・・・と、身体を動かしながらでもコミュニケーション、それも世界中の人々と交信可能なツールはどんどんと発達してきています。あたかも身体を動かすのが前提になっているがごとく。しかし、反対の極論をいえばベッドで寝ながらでも1万キロの彼方とコミュニケーション可能な環境が作られているのです。「メールで交信しているのに、メールでは失礼だからと電話をしてくる人がいるが迷惑だ」と言われることが珍しくなくなっていて、名刺にもケータイ番号とメールアドレスあれば十分。いや、名刺も不要でネット検索やソーシャルネットワークの何処かにコンタクトが記載されていれば問題なしとなりつつあるなか、ホリエモンが苛立つ様に「どうしてiPhoneのバッテリーチャージャーをオンラインで売っているというと、『オンラインだけですか?』と聞く人が少なくない。なぜなんだ?」という状況もあります。動機もないのに動く非生産的な人たちの多さ・・・。

昨日、建築学会建築事業委員会が開催しているカルチベートトークに参加しました。講師は東大都市工学科で交通工学を教えている羽藤英二さん。移動の数理分析が専門の方。(参加していた早大の学生さんのまとめがブログにアップされているので、詳細はそちらを参考にしてください→http://ameblo.jp/ry-utabou/entry-10556977630.html) 基本的に人間は移動する存在であることが定義されています。人が移動しない存在であるとは定義しずらいでしょうが、今の世界をみていて、移動が大前提になっていると考えてよいのかどうか、まずこれがぼく自身の第一の疑問でした。意味を問われないで移動することが正当化されるロジックとは何なのか?健康や気晴らしのための散歩は、その理由付けをする時点で本来の人の行動として不自然です。目の前にきれいな公園があるから散策に出ようと思うのか、自然に接したいという本能を満たすために公園に出かけるのか。つまり、どこまでを本能的な行動として生産性の枠外におくか、どこからを生産性の問題とするか、これが面倒ではあるが整理しないと生きづらい世の中になってきたのです。

これは自家用車について顕著です。CO2を排出する内燃機関の自動車、それもパーソナルカーに乗る理由はより厳しく問われるようになりました。もともと社会悪的な側面をもつ存在であったクルマですが、これを散歩と同じように楽しみに乗る。それも海辺や山ではなく都市内で利用する場合、明らかに散歩を非生産性の枠外におくようにはクルマを枠外に置きにくいロジックが強くなりつつあります。しかし、およそ過去を振り返れば、都市計画者にとって公共交通は許せても、パーソナルカーは馬車の子孫とは認めたくない。自転車はいいが、できれば「クルマは始末すべき」とみられがちでした。羽藤さんは、20世紀の都市はクルマをどう入れ込むかが大きなテーマだったといいますがーこれが恐竜的な巨大社会を構成したー、これは意地悪く見ればクルマを厄介ものであることを前提にした議論であったといえます。

いずれにせよ、羽藤さんは恐竜型からヒューマンスケールの哺乳類型へ移行しつつある都市のあり方を唱え、その一つとして、鉄道ー自動車ー自転車ネットワークがいわば幸福の絆を築けるようなモビリティ・クラウドー羽藤さんの言葉。MITではモビリティ・オン・デマンドという言葉を使うらしいーを提案しています。そして、それを後押しするのはスマートグリッドにおけるEVの位置づけです。ぼくも「2030年 EVで変わる社会とクルマを読む」というエントリーで書きましたが、エネルギーのバランサーという役割をEVがもつことで、社会的正当性をもちやすくなる可能性はあります。ただ、それだけでなく、パネラーである東大都市持続再生研究センターの阿部大輔さんも指摘していましたが、「ラストマイル」の詰め具合がポイントであり、郊外のあるポイントまでクルマできて、あとは公共交通あるいは自転車に任せるだけではモビリティ・クラウドは現実的には成立しないでしょう。そしてカーシェアリングというサービスの定義と意味が深く問われます。

これは同時にパーソナルカーの概念の大変換を促し、概念の変貌は実際EVを契機としてクルマの過去のマイナスを清算していくことで可能になっていくかもしれません。その文脈で、昨日の「移動ネットワークから都市デザインへ」という表題が狙った都市計画者と建築家の協業は、今後はクルマの企画者とデザイナーと手を結んでいくことの暗黙の了解を得たようにぼくの目にはー勝手にー映ったのでした。20世紀に手を結ばなかった非をお互いが反省した上で、当然、その方向に向かうべく世の中は動き始めていると思うし、今、クルマの側のほうがより都市に関心を寄せているとも見えます。お互いが手を結んで可能になることーそれは長らく停滞気味だったITS(Intelligence Transport System) がヒューマンスケールを視野に入れることで一気に現実性を帯びてくることではないか、とも考えています。

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Category その他, セミナー・講演など | Author 安西 洋之

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