ブログでのプロフィールの書き方

Twitterやブログのプロフィールの書き方が色々なところで教示されていますが、「自分の興味の範囲を明確にせよ」「キーワードを羅列せよ」「できれば実名がいい」とか色々とありますが、「年齢を書け」というアドバイスはあまり見た覚えがありません。リアルに目の前で会って話している人は何十代くらいなのか想像がつきます。が、ネット上のブログやマスコミなどで意見や感想を公にする場合、見知らぬ多勢があなたの意見を判断するに年齢表示はかなり重要です。何歳と正確に書く必要はありませんが、何十代であるかは示唆しておくべきではないかと思います。これはぼくの以前からの持論なので、一橋大学大学院教授の石倉洋子さんのブログで以下を読んだとき、「これは一言」と思いました。

「先生」は困るなあ、と思っていた所、最近、履歴書を出す必要が重なり、さらに、自分の(本当の)年齢が活字になったのを見つけて愕然としてしまい ました。私はかなり前に「大台」にのった時から、毎年誕生日ごとにひとつずつ若くなろうと決めてその通りにやっていた(気分はという意味です)のですが、 物理的年齢は増えているので、正式な書類を書く時に、この事実に直面してしまったのです。特に今会社の人事関連のニュースが多数出ている時期なので、新し い社長の紹介には大体年齢が書いてあることがほとんどです。だんだん自分より若い(といっても世界の基準から考えるととても年齢が高いですが)方々がトッ プに就任されることが多くなってきて、自分の実際の年齢を意識するようになったこともあるかもしれません。

意見のバックグランドにあるキャリアが見えないところでは判断しきれないことが沢山あります。よって、ぼくの一言は以下です。

あることに対する意見が、どういうバックグランドから出てきているのかを知るのは大切です。Aという意見の判断をする際、20代の人のものか、40 代の人のものかで見方が変わってくるのは当然です。「まだ経験がさほどないのに、これだけの理解をしているのか」と「これだけの経験があって、この程度の 理解していてしないのか!」という差異を無視するわけにはいきません。その差異に基づいて、明日のあり方を考えるのが自然です。

高齢だからといって、それだけで考えが古いという風潮こそを崩すべきです。同時に、若いだけで未熟とする風潮も崩すべきです。最近日本で多い世代論 争の不毛な点は、ここにあります。年齢をはっきりさせた上で、お互いを尊重する文化を創ることに意味があると思います。「あの人、もう90歳近いのに、 30代みたいに頭が柔軟だ!」という賞賛する文化があることは重要です。

因みに、イタリアの新聞記事でも年齢は普通に表記します。それは不要に高年齢の人間を揶揄したりする土壌がないことを逆に示しているとも感じます。

これを書いた後、上海に住む女性が、中国では年齢を重視しすぎるところがあり嫌気がさすが、外国人と会うと「上海に何年お住まいですか?」と聞きあうと投稿しています。「この国の事情をどれくらい知っているか、体験しているかによって、お互いの話の内容や興味がまったく違ってくるからです」と。キャリアの内容を知ることが会話のベースになるいうことは、人の考えなどを判断する際、発言者の背景を知らなくても良いとはおっしゃっていないということです。背景とは簡単にいえば年数です。年数だけでキャリアの全ては語れませんが、それぞれの人が一々詳細に履歴書並みに説明するわけにもいきませんから、「社会人として何年やってきた」「こういう時代をリアルにくぐってきている」と相手に想像させる情報提供するのはプレゼンの基本だと思います。

冒頭で書いたように、リアルに会っている場で年齢を語るべきだと言っているのではなくー別に年齢を語るべきではないともぼくは言いませんー、背景の分からぬ言説が漂う社会にあって、非常に明快な指標に冷淡であってはいけないと言っているのです。それでぼくも、このブログには生まれた年や大学の卒業学科を記しています。因みに、卒業学科を書いているのは、ぼくがヨーロッパ文化論を語っているから。大学の時にそう勉強したわけでなくても、学科選択のときにフランス文学科を選んだのは、30年以上ヨーロッパに目が向いているという「キャリア」を示せるだろうと思うからです。

さて、ぼくの投稿に石倉さんが次のようなコメントをくれました。

そうですね、年齢でいろいろ決めようとする所が??だと思います。年齢を基準にすると誰も反対できないので、リーダーを決める場合など、年齢にしてしまうのは、「安易」なやり方だと思います。基準自体をどうするか、という議論を避ける傾向もあるようです。

ちょっと論点がずれたのは?と思いました。これは組織編成上の問題点として指摘しています。これはこれで当然ながら問題でしょう。しかし、ぼくが想定しているシーンは違います。公共空間における意見に判断を求める際ー多くのブログは判断を求めていないかもしれませんがーに必要な情報提供とは何か?というのが視点にあります。その次に、ぼくが投稿のコメントに書いたように、年齢が消去法の対象ではなく、年齢表示の積極的活用に至らなければ人は幸せになりにくいだろうということです。年齢にしたがう肉体的衰えは隠しようがない。年齢を意図的に隠す文化は人を不幸にする一方だろうと思います。年齢をネタにあらゆる世代が一笑に付すことが目指せないと、世の中は堅苦くなるだけです。数日前に「イタリア式が最高とは言わないが・・」で書いた内容とニアミスします。

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Category その他, セミナー・講演など | Author 安西 洋之

Comment

  1. [...] This post was mentioned on Twitter by 中川諒-Ryo Nakagawa, 安西洋之. 安西洋之 said: 「ブログのプロフィールの書き方」http://bit.ly/a176bx を書いた。一橋大の石倉洋子さんのブログにあった年齢表示 [...]

  2. いつも楽しく観ております。
    また遊びにきます。
    ありがとうございます。