イタリア式が最高とは言わないが・・・

イタリアの日曜ミサなどでも、神父の下らない説教の途中で赤ん坊が泣き出す事があります。

その泣き声がゴシック建築の教会の内部で響き渡るのですが、なぜか心地良さを感じた事がありました。とてもイタリア的だなあと思った事があります。「カオスな生を全肯定するような、、、」という意味で。

そして、赤ん坊の泣き声が見事な演出効果になり、下らない説教に多少の説得力を持たせていました。

多分、こういう感覚は、北ヨーロッパにはないんじゃないかなあ?今週は、出張でデンマークとイギリスに行ってきます。

昨日書いた「佐藤淑子『イギリスのいい子 日本のいい子』を読む」に対する仁木さんのコメントです。仁木さんはミラノに住む写真家です。とても良いポイントを衝いてくれました。ぼくは上記の本を読んでいて辟易するところがあり、それをぼくはブログの文中、「『そんなに大人と子供の時間と空間を分けることに熱心で、ちょっと肩が凝らないの?』と質問したくもなります」と表明しました。大人と子供は世界が違うんだ、お互いが無理しないように棲み分けさせないといけない。そこで無理させると赤ん坊はギャーとくる。だから大人の楽しみのために赤ん坊を引きずりまわしてはいけない・・・という英国の子育ての前提の記述に違和感を覚えたのです。正確に言えば、英国の子育てが悪いのではなく、教育論を語るにあたってのモデル設定のしんどさです。「おっしゃることは至極ごもっとも。でも、やや不自然では?」と。大人には大人の楽しみがあり、それを犠牲にしないのも、その反対も大切ですが、仁木さんの言葉を真似れば「カオスな生を受容しない」精神文化への肯定感が強く、堅苦しすぎてどうにもしっくりきません。

それに対して、仁木さんが例に出した教会のミサにおける赤ん坊の泣き声は自然です。葬式でも赤ん坊が大声で泣き、小さな子供が大人の周辺を走り回る。これが人の生きる世界で、こうして生は回転していくのだと実感させてくれます。人が死に、新しい命が死を意識することなく、エネルギーを振りまき、皆の頭が切り替わる瞬間です。いうまでもないことですが、それぞれの世界、赤ん坊も子供も大人も、全てが混在とも呼ぶべき状況にいればよいというわけではありません。それぞれに分割し棲み分けを図ることは大事ですが、「ゆるい棲み分けと、たまの混在を許す」精神構造が必要とされるのです。イタリアの子供たちも大人のお客さんが家に来る日は早く寝室に入ることもあるけれど、大人と夜遅くまでつきあうことも稀ではありません。レストランで赤ん坊が泣けば、せっかくのデートが台無しになったと悲嘆するのではなく、その赤ん坊を皆であやして時を過ごし楽しむと考えるわけです。しかし、スカラ座のオペラに子供は連れて行かない・・・。

これは音あるいは騒音に対する馴れとも関係するかもしれません。もともと声の大きなイタリア人の会話と隣のテーブルの他人には聴こえにくい声で喋る英国人。この大人の出す音との相対関係で英国では赤ん坊の声が突出してしまうという問題もあるかもしれません。しかし、それよりも何事も緩やかにしておくメンタリティが、レストランでの寛容な空気を作るのでしょう。だから、逆にイタリア人の会話にも「お願いだから、もう少し静かに話してくれ!」とぼくは思うわけですが・・・・。『イギリスのいい子 日本のいい子』という本は教育の専門家によりデータを駆使して書かれており、モデル化するために散文的であることを避けています。それに対してぼくなどが批判する点は何もありません。ただ、やっぱりラテン系文化がぼくには説得性があるかもな・・・と思うだけです。その「ゆるさ」という大人文化の一点だけにおいて。

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Category セミナー・講演など, 子育て, 本を読む | Author 安西 洋之

Comment

  1. [...] This post was mentioned on Twitter by masa, 安西洋之. 安西洋之 said: イタリア式が最高だなんて決して思わない。しかし、北ヨーロッパやアングロサクソン系のモデルだけが肯定的に出てくると、 [...]

  2. la dolce vita 

    非常に興味深く拝読しました、ロンドン在住です。
    『イギリスのいい子 日本のいい子』を読んでいませんし、子連れでイタリアに行ったこともありませんが、先日、出席したスペインの結婚式と似たような環境だろうな、と想像して書きます(お手数ですが、下記参照ください)。
    http://www.ladolcevita.jp/blog/global/2010/10/post-353.php

    スペインでは荘厳な結婚式でしたが、私の当時6ヵ月の息子を隣に座った花嫁側親族(スペイン人)がずっとあやしてくれました。 他にも赤ちゃん連れが多く、長い式の間、何度となく赤ちゃんの泣き声が教会内に響き渡りました。
    一方のイギリス。 (私はこういう式に招かれたことはありませんが)”babies not invited”の結婚式や葬式があると聞きます(同じ月齢の子を持つ友人たちが、そのたびに悩んでいます)。 アメリカでも多いようです。

    ところで(ブログに書きましたが)スペインではレストランにハイチェアやオムツ替え台がありません、先日行ったパリでも見かけませんでした。
    ロンドンではハイチェアやオムツ替え台があるレストランは非常に多く、キッズメニューのあるレストランも多いので、こういうところは家族連れで賑わっています。 一方で「子どもお断り」のレストランもあります。

    個人的には、初めから「お断り」と言われた方が、入ってから嫌な顔をされるより気がラクだと感じますし、世の中に一定数「子どもの騒音が嫌だ」と感じる人がいる以上、仕方ないのかな、とも思います(上記の”babies not invited”の結婚式は別です、レストランは行かなければいいだけの話ですが結婚式はそういうわけにいかず預け先を探さなければいけないので、やはり「冷たいな」と感じます)。

    イタリアやスペインのように子どもを特別視せず混在を許す状況はゆるやかでいいな、と思います。 ではなぜ社会が子どもにこんなに寛容なのにヨーロッパ一少子化なのか?という点は非常に興味深い点だと思います、やはりたくさん産みたくない(もしくは経済的その他状況で産めない)と感じる人が多いから少子化なわけで。

    今年のクリスマスはアマルフィ海岸で過ごしますので、子連れイタリアを体験してからまたご報告しますね。

  3. 安西洋之 

    コメント有難うございます。

    赤ん坊を大手を振って連れて入れる場所は楽ですね。しかし、それが見つからないとき、より一層大変です。どちらがいいんでしょう。

    そのあたりのグレーゾーンを制度化するのが得意な文化と、グレーゾーンをグレーのままにしておくことが得意な文化がある。そういう風に思います。当然、後者は何でも一から様子をみて入り込める工夫をしないといけない苦労があります。だから前者を先進的にみたりします。

    だが、どちらも先進でもないし後進でもない。あるいは個人の好みの問題でもありません。そういう風なやり方に馴れているとしかいいようがない。そういうロジックに馴れているとしかいいようがない・・・ということをよく感じます。あるロジックに慣れれば、どちらにも馴れることができるということなのでしょう。

    少子化はベビーシッターのコストも含めて、経済的な理由が大きいですね。それ以外には理由があまり見当たらないと思います。ラテン系の赤ん坊の扱いをみていると、子供を育てたことがあるかどうかとは関係なく、上手い人が多いなという印象をうけます。

    イタリア旅行の後の感想をお聞かせください。