佐藤淑子『イギリスのいい子 日本のいい子』を読む

息子が2歳の頃、夏のバカンスを南仏ニースで過ごした時のこと。ある晩、旧市街のピッツェリアにイタリア人の友人親子と入りました。外のテーブルにすわり、まずは冷たいビールで乾杯。しかし、ピッツァがテーブルに届く前に息子がぐずり始めました。フランスもイタリアと同様、小さな子供を連れていてもあまり居心地が悪い国ではないと思うのですが、そのときは、周囲から「煩いなぁ」という視線を感じた奥さんが、息子を連れて近くの広場に散歩に出かけました。そして、ぼくがピッツァを食べた頃を見計らって戻ってきた奥さん。彼女がピッツァを食べている間に、今度はぼくが息子を連れ出す・・・という光景が繰り広げられた時、友人は「ヒロは冷たいビールを飲み、熱いピッツァを食べ、ミナコには醒めたピッツァを食べさせるのか。順序が逆じゃないのか!」と辛口の言葉がぼくを刺します。ああ、言われてしまった。子供を前にしても女性を優先するよう体が動かなかった新米パパは猛省したものです。その反省が今も生きているかどうかも、また怪しい・・・。

その翌年の夏は、オーストリアのインスブルックでアパートを借りました。三階建ての旧貴族邸を分割して宿屋として貸しているのですが、オーナー家族は一階に住んでいます。同じように小さな子供もいる彼らならと甘く見積もったのが大間違い。2週間の滞在中、「子供がバタバタしないよう注意してくれ!」と三度も勧告を受けました。ミラノでは比較的ちゃんとしたレストランでも、赤ん坊をベビーカーに乗せてあやしながら夕食をとれますから、イタリアの子供が出す騒しい音にも寛容さを期待してしまったのです。誰が出そうが、騒音は騒音。オーナーの奥さんにビシッと叱られました。それでドイツ的というかオーストリア的な厳しさはバカンスには不向きと、軟弱な(?)われわれ夫婦はその後、イタリアで夏休みを過ごすことに決めました。それぞれの文化があり、どれが良い悪いではなく、自分たちが納得できるゆったりとした時を過ごせる場所を選ぶことにしたのです・・・・が、自分たちの子供への振る舞いに他人の目が光っていることは変わりありません。このように子供を連れていくつかの国を旅すると、大人だけの旅では見えてこない文化差が見えてきます。

「日本人は自己主張が乏しく自己抑制が強い。そして米国人はその逆」という言い方がよくされます。そして他方、「これはステレオタイプな見方である」という逆襲があります。そのとき、「いや、英国人は自己主張もするけど、自己抑制もしっかりしている」と語るのが、本書の佐藤淑子です。小学校の頃に駐在員の父親に連れられてオランダで数年過ごし、修士は米国、博士は英国でとった著者は、米国と英国のある大きな違いを指摘したうえで、日英の幼児教育を比較していきます。自己抑制が強すぎるがゆえに的確な自己主張に欠け、それが「切れる」という現象の要因になっているのではないかと日本の状況を分析する著者は、英国万歳ではないが、自己主張と自己抑制の両方を重視する英国教育をモデルとして参考にする根拠をデータも添えながら書き出していきます。

イタリアに長年生活している身からすると、英国の子育てのエピソードに感心することは少なく、「そんなに大人と子供の時間と空間を分けることに熱心で、ちょっと肩が凝らないの?」と質問したくもなります。およそ青少年の問題ー飲酒、ドラッグ、性ーの欧州先進国である英国の子育ての例をとりあげる違和感がぼくにはあるのですが、規範への服従があまりに強く、集団所属意識が強すぎる日本の読者に示唆を教示するには、こういう方法でもいいのかなと思います。その証拠に、本書は8年間に11版で、アマゾンも実に肯定的なレビューが沢山並んでいます。これらを読んで、じゃあぼくもブログにもっと子育てネタを書いたほうが文化テーマも分かりやすいのかなと考えたほどですー実際、このネタを増やそうかと思っています。

最後に、本書のテーマである自己主張と自己抑制のバランスに戻すと、ミラノサローネ2010(27)で書いた「静かなニッポン人」と重なってきます。以下です。

どこかに動きを感じる作品の数々を眺めます。今回、日本のデザイナーの作品に接しながら、「どうして、こうも静かなんだろう」とその理由を考えました。今 週、ライターの方と話していたときに言われたのは「日本人は人とぶつかることを避けますからね」ということでした。そこで、説得的であることは平和を目指す態度ではない、暴力的要素を含むという認識を正すことが必要なのではないかということを話したと月曜日に書いたのです。同時に、トリエンナーレのボビザでみた作品の数々は完成度は低くても、説得的であることを厭わない風に見えるとも記しました。つまり、日本人の作品が静かであるのは説得を避ける態度に理由を見つけられるのではないか、とも考えたわけです。

説得的であることは規範の逸脱につながると考えやすいのではないか、ということです。ここに至り、日本のデザイナーの作品の静けさは自己抑制と密接であるだけでなく、日本で当然とされるレベルの自己抑制に馴れていない人たちにとって、この静けさは「不足感」「欠如感」を導き出すかもしれないと思わずにはいられません。

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Category ミラノサローネ2010, 子育て, 本を読む | Author 安西 洋之

Comment

  1. NIKI 

    イタリアの日曜ミサなどでも、神父の下らない説教の途中で赤ん坊が泣き出す事があります。

    その泣き声がゴシック建築の教会の内部で響き渡るのですが、なぜか心地良さを感じた事がありました。とてもイタリア的だなあと思った事があります。「カオスな生を全肯定するような、、、」という意味で。

    そして、赤ん坊の泣き声が見事な演出効果になり、下らない説教に多少の説得力を持たせていました。

    多分、こういう感覚は、北ヨーロッパにはないんじゃないかなあ?今週は、出張でデンマークとイギリスに行ってきます。

  2. [...] This post was mentioned on Twitter by 初心者シーカヤッカーへの道, 安西洋之. 安西洋之 said: 文化理解のために料理ネタはいけると思っているが、子育ても人気ネタなんだな。教育の違いを描く [...]

  3. anzai 

    教会のミサに赤ん坊の泣き声・・・確かにあいます。あの感覚が、この本には抜けていると思ったのです。大人の世界の尊重とかいって、大人の世界って何なの?という根本的なところに隙があるような・・・。

    良い旅をしてきてください。