散髪でガラバコス問題を思う

日本でぜひ体験しておきたいと思ったこと。それは今や何処にでもある10分1000円という場所で散髪することでした。よく駅のホームで電車を待ちながら、そういう店内を外から覗いてシステムの理解に努めていたのですが、やはり自分で経験してみたかったのです。ああいう場所で変な髪形にされたら嫌だな、という恐れは全くありませんでした。きっと頭の形と髪の整え方のバランスについて、イタリアの床屋よりはマシではないかと確信していたからです。ぼくはイタリアでは女性客がメインのいわゆるビューティサロンに通っています。何軒も試した男性用の床屋では満足する結果が得られず、数軒目の美容院でやっと安定した髪型を確保したのです。髪質と頭のカタチの違いが、ヘアデザイナーの腕前のポイントの違いを生むということだと思います。

ヘルメットのようなカタチに馴れている人には、やや絶壁ぎみのカタチではどこの髪をどのくらい切れば全体に丸い頭に見せられるかという勘が働かないのです。日本のヘアデザイナーが「イタリア人は下手だ」と言うことをよく聞きますが、どうもそれは要求する基準と箇所が食い違っているからではないかと想像してきました。地震の少ない国ではガラス製品をものすごく微妙に飾ることができるけれど、地震の多い国ではそういうところに繊細さを発揮することができない。そうすると、(地震の多い)そこでの発想は非常に限定的な条件に縛られる。したがって、逆転のアイデアがでる可能性も高まるが、発想の選択肢自身は圧倒的に少ないだろう、ということになります。それがヘアデザインでも言えるのではないか、と。

もう一つ10分1000円を選んでみる理由があります。散髪は何度か同じ人にカットしてもらいながら、だんだんとこちらの趣向を分かってもらうところがあります。どうせ一回限りであれば、その店の形態によらずとも一定の品質以上をあまり期待できないことが多いだろうという想像がありました。そして、およそイタリアのぼくの通う美容室では髪はカットする前に洗い、カット後はドライヤーで切った髪を飛ばすことが多く、あらたに髪を洗ってもらうには余計なコストがかかります。ましてやサロンでは髭など剃らないので、「カットのみ。洗髪なし。髭剃りなし」の宣伝文句で、「えっ、やってくれないの?」という気にならないのです。「なんだ、イタリアと同じじゃない」と思うわけです。

日曜日の今日10分1000円に出かけ、自動販売機でチケットを買うところから始まり、コート掛けが鏡の扉の奥にあることや、最近ではこういうところに限らず普通らしい、切った髪を椅子の下に掃きこんでいくなど、一つ一つが新鮮でした。だいたい、日曜には床屋が休業という世界に馴れていると日曜に散髪に行くという行為自身が既に新鮮なのです。日曜に散髪するというのは、平日の行動のための準備としての休日であるという、日本での日曜日の位置づけを思い起こさせてくれます。そして、結構の人が並んで待っている。これが日本の日曜日なんだ・・・・。

髪を切った感想を言うと、ぼくの冒頭で述べた仮説は全て正しかったと思います。日本人の頭のカタチと髪質に馴れていることが、その技術者の腕のかなりの部分を占めると言えるでしょう。その難しい条件で技術を習得すれば、髪質が柔らかく頭のカタチもバランスが良いイタリア人にはもっと素晴らしいヘアデザインができるのでは?と思う人もいるでしょうが、そうは直線的に結論が出せないと思います。髪型の全体的イメージの膨らませ方は、こういう技術レベルとは別の才能だなと思うのです。オーバースペック気味の日本製品のガラバコス問題と絡んでくる話です。

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Category その他 | Author 安西 洋之