高浜和秀さんの逝去
Date:10/2/10
ぼくが高浜和秀さんに会うためにボローニャの自宅に伺ったのは、1993-4年ではなかったかと思います。中心街です。後に首相や欧州委員会の委員長となるプローディが近くに住んでおり、「プロディとは近所づきあい」と語っていました。首相となったプロディの自宅付近がTVニュースで映るたびに、高浜さんのことを思い出しまた。
彼の自宅を訪ねたのは、日本のある照明器具のイタリアでのマーケット調査をするに際し、意見を聞くためでした。高浜さんは写真を一瞥して「これは、イタリアで売れないよ」と即答しました。それまでイタリア人の何人もの建築家からのフィードバックで五分五分よりは劣勢だと掴んでいましたが、そこまで断定的には言われなかったので、びっくりしました。
しかし、後になって、つまりイタリア市場のテイストや値ごろ感などもろもろのことが分かり、高浜さんの一言は無駄を省いた忠告であったとよく分かりました。ぼくも含め、海外に住む日本人は日本製品の海外での評価に外国人以上により厳しくなるーあるいは悲観的ー傾向がありますが、高浜さんの言葉は実に冷静で客観的だったなと今にしても思います。
B-Lineが高浜さんのチェアを復刻したいと話があったので、ぼくはB-Lineに高浜さんを紹介しました。このESAをはじめてミラノサローネの時に触り座り、「なるほどなぁ、高浜さんは、こういう感覚でデザインしていたんだろうな・・・」と実感したものです。1950年代、ミラノのトリエンナーレで日本ブースを手がけ、ディーノ・ガヴィーナに誘われたのが、その後イタリアで活動する契機だったようです。1960年代以前に外国に住み始めた人たちは、頭の質が違うというのがぼくの持論です。Uomo di Pietra (石の男)と呼ばれるくらいに寡黙だったとぺザロの建築家・渡邉泰男さんが称していたことがありますが、高浜さんの存在感は石のように重かったのでしょう。
今週の月曜日、80歳で亡くなりました。合掌。








