辰巳渚さんの家事塾
Date:10/2/9
「今、色々な編集者から時間の使い方をテーマに本を書かないかと言われるのですが、なかなかありきたりの結論以上のことを書けそうになくて・・・・。一日は24時間と決まっているけど、これを静的にではなく、動的なものとして考えていかないといけないんじゃない、と。たとえば、なかなか家の中が片付かないといっても、お客さんが来るとなると、5分でできたりするわけですよね」と辰巳渚さんが言うので、これはぼくが考えている動的文化把握と同じだと思いました。
『「捨てる!」技術』などを出して文筆業やマーケッターとして活動してきた辰巳さんが、家事塾をスタートさせたと昨年知りました。彼女とは以前から交信があるのですが、この家事塾のコンセプトを読み、フィールドはまったく違うけど、目指す方向はぼくのヨーロッパ文化部プロジェクトに近いと直感しました。自分なりの生き方あるいはライフスタイルのあり方を固定的視点からではなく捉える、それも抽象的なレベルではなく、日常生活のディテールやモノやソフトを介して考えていくのです。そこで日本に行ったら久しぶりに会ってみようと思い、今回、ご自宅に伺いました。多分、彼女なら人工物発達学の問題意識やアプローチには関心が高いだろうと思い、「人工物発達研究」の1号と2号を手土産にもって。
日用品、家電、ハウスメーカーなどに消費者論理を解いている辰巳さんは、即、人工物発達学の重要さを理解してくれました。「そう、これが私のユーザーの立場にたった問題のとらえかたにミートしそう。家事塾は家政学とかじゅあないんですよ」と語るところで、家事塾がいわゆる「カリスマ主婦」「掃除の達人」的な世界とは距離があることが分かります。「役に立つ」や「ノウハウ」ではなく、自分で満足できる生活とは何なのかを考え、かといって「辰巳流家事」という見られ方を拒否する。「そんなに、生活に個性的であることを主張しなくてはいけないの?死に方まで誰々なりを考えなくちゃあいけない。出産もそう。選択肢がたくさんあって、それをイチイチ、こういう決め方をしたと公表しなくちゃあいけないなんて疲れますよね」と。
自然に生きることに肩に力が入りすぎる不自然さは、もっと伸縮性のあるコンセプトや考え方をベースとする生き方によって解消していかないといけないと思っているぼくは、そこに南ヨーロッパ的な発想が有効であると考えています。それは場合によって違ったロジックを使い分けることです。あらゆる問題や状況は、見方を変えることによって打開策が生まれてくるものですが、見方を変えるとは、違ったロジックを持ち込み突破口を見出すということなのです。この違ったロジックの使い方が家事塾の狙いではないかとぼくは理解し、人工物発達学の趣旨とも一致するはずと読んだのでした。以下は提唱者の黒須正明さんの文章です。
人工物がなぜそのような形になり、なぜ他の形にならなかったかという人工物発達学の出発点となる疑問は、裏をかえせば、人はなぜ「それ」を選んだのか、 「それ」は自分にとって最適なものなのか、という生き方に対する問いかけにもなる。また製造業やサービス業の観点からは、今、人々に提供している人工物が この先どのように変化する必要があるのかを考えるための枠組みを提供することにもなる。このような意味で、人工物発達学は、ある面では生き方の学問とし て、また別の面では人工物デザインへの指針をもたらす学問として位置づけることができる。
さて、冒頭の話、時間の問題に戻ります。お客さんが来る前の5分間で掃除ができるというのは、アドレナリンの上げ方の問題だと思いますが、なぜ、それが普通はできないか? それはアドレナリンは一度あげると下げるのが大変だからかな?とも想像します。つまり集中心を出していく方法も大切ながら、どう下げるか?が身についていないと、「あれをやると、結局、やりすぎて面倒なんだよなぁ」ということになるでしょう。過去の記憶です。だから、やればできることがわかっていながら、できない。5分といえど5分の問題で片付かない。ここに新たな視点を見出さないといけないでしょう。








