ミラノサローネ 2010(14) 横浜元町で考えたこと
Date:10/2/2

ぼくにとって横浜がヨコハマであったのはいつごろまでだったろうかと、元町を歩きながら思いました。氷川丸の向こうに海がずっと続く景色があった時代だけでなく、本牧のディスコのリンディでソウルミュージックのステップが踏まれていた、あるいはアロファカフェが田中康夫『なんとなくクリスタル』で注釈につけられた、いや、家業がフランスのシップチャンドラーで「バタ臭い」香りのなかで育った女性が経営していた数人しか入れないバーに毎週通いつめていた、それはすなわち、今から20数年前までは、かろうじてぼくにとってヨコハマであったかもしれないという記憶の指標です。
その後、イタリアに住み始めてから、ぼくにとってヨコハマはあまり意味をもたない街になりました。生まれ育った場所であることとは別に、街自身に魅力を感じなくなりました。ひとつには、いわば輸入文化を売りにしていたヨコハマが、ヨーロッパに住んだことで不足感が際立ってくるようになったのでしょう。でも、その前からある危機感はありました。本牧の米軍住宅が壊され大型ショッピングセンターができ、山下埠頭のヨットハーバーの周辺が芝浦の後追いのようなムードになりはじめた頃、そろそろ潮時だなと思いました。ぼくにとって必要でない街になったのだ、と。

ヨコハマの良さを再生しようというボランティアのプロジェクトに絡んでいたのですが、それが頓挫したのでした。三菱重工の跡地の処理が、ぼくたちが話し合っている方向とは逆に決まったのです。そのこととはまったく関係なく、ぼくは日本を離れたのですが、ヨコハマが引っ張るものがなくなったというのは、気持ちのどこかで「片付いた」という状態であったかもしれません。
そして、今のミナトミライを目にするとき、あの頃の、ぼくよりはずっと年上だった活動の中心人物たちの顔を思い出します。しかし今日、元町を歩きながら感じたのは、そうしたノスタルジーとは違う、ある種の確認作業を行った気がしたことです。「やっぱり、だめになったな」と。かつては高級品の華やかな店だったのが、似たようなモノを過去を引きずりながらまだ売っている。誤解を恐れずに言うならば、国境沿いの免税店で賑わった時代の終焉という雰囲気があります。
更にいうと、この元町の姿が、「高品質で高付加価値」という今やもしかしたら死語かもしれない、ヨーロッパにおける日本工業製品のイメージとダブってみえてきたのです。あるいは、こういう感想をもちました。元町で扱ってきた商品は、結局のところ、ヨーロッパでの日本の雑貨の位置に相応するかもしれない、と。一部の愛好者たちは買うが、より資本の大きな力で出てくるー東京経由で溢れるー商品や、テーマを更に突き詰めるー中華街は以前より観光地化しているーことに対抗できていないのでは、と思うのです。これは、ぼくの街歩きしての印象ですから、願わくば、いろいろな挽回策が実行中であることを祈るばかりです。






