加藤周一『言葉と戦車』を読む

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言葉については多くの人が語ります。それぞれに言葉に思いをこめる、あるいは思いを伝える、言葉ほど無数に定義しているものはないかもしれません。指や足を定義するより、言葉を定義するほうが難しいです。しかし、1968年のプラハにおける言葉、不幸にも、定義がもっとやさしい状況だったといえます。チェコスロバキアの「自由化政策」とそれに対するソ連による弾圧がおきた年です。高度に知的週刊誌である「リテラルニ・リスティ」は人口150万人のプラハで、同年7月、40万部を刷り、それは人口8百万人のロンドンにおける「ニュー・ステイツマン」の発行部数に匹敵したとあります。

今やプラハの大衆報道機関(新聞・放送)は、共産党政府の政策批判という点で、モスクワの「プラウダ」よりもはるかに自由であったばかりでなく、アメリカ帝国主義の公然たる批判という点で、東京のNHKよりはるかに自由であった

と、加藤周一は表現します。「自由化」にもっとも批判的な東ドイツと好意的なユーゴスラビアやルーマニアの指導者たちがチェコスロバキア国内で声を大きくしていたその時、つまり1968年8月20日、夜11時にソ連軍はソ連・ハンガリー・ポーランド・東独の国境を超え侵入しました。

翌21日の早朝6時頃には、早くもプラハの政府建物を包囲し、全国の主要な都市のすべてを占領していた。侵入した軍隊は、武力的な抵抗には出会わなかったが、占領と同時に、ありとあらゆる抗議の言葉に出会った

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ここで、チェコスロバキア政府は大衆に暴力行為に走らぬよう訴え、占領軍の兵力は50万人、戦車1500台以上でしたが、言葉の面では占領軍を圧倒したのです。占領とほぼ同時に秘密放送によるレポートが開始し、秘密に刷られた新聞は数万部であったといいます。加藤周一の以下の文章は強烈な力をもって、読む人間の心をつきさします。

言葉は、どれだけ鋭くても、またどれだけ多くの人々の声となっても、一台の戦車させ破壊することができない。戦車は、すべての声を沈黙させることができるし、プラハの全体を破壊することさえできる。しかし、プラハ街頭における戦争の存在そのものをみずから正当化することはできないだろう。自分自身を正当化するためには、どうしても言葉を必要とする。すなわち相手を沈黙させるのではなく、反駁しなければならない。言葉に対するに言葉をもってしなければならない。1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは、圧倒的な無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった。その場で勝負のつくはずはなかった

今、中国政府とグーグルが「検閲」「サイバー攻撃」をめぐってメディアを騒がしています。今週のハイチの地震でもグーグルマップやTwitterが状況把握に活躍しています。「情報」という言葉は非常に便利ですが、この表現が言葉の原初的な役割や意味を見失う契機にもなりえます。また、「言葉だけは分かりにくい」という言い方が最近多いです。そこで、ぼくもイメージをブログに挿入するわけですが、言葉が無用に消費され、本来もつはずの力を相対的に失っている状況は、ーあらためて「不幸」ながらー言葉の再定義に多忙な時期となっていると言えるでしょう。

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Category 本を読む | Author 安西 洋之