ミラノサローネの見方(番外編1)
Date:08/7/16
「2008 ミラノサローネ」を二ヵ月半に渡って書き、その後に、「2008 ミラノサローネ」で書ききれなかったポイントを「僕自身の歴史を話します」で記してきました。
http://tokyo.metropolitan.co.jp/milano-salone-46/364
この数週間、つまり「僕自身の歴史を話します」を書きながら、上記「サローネの見方」の目次 を、もう少しブラッシュアップしないといけないと思いはじめました。改訂版を待たずにできるのがブログでしょうから、少々リズムを落とし、ゆっくり考えながら書いていこうと思います。それは今日、欧州人のデザイナーとミラノのインテリアショップのオーナーと別々に雑談を交わしていて、気になったことがあったからです。そして日経デザイン編集長のブログも、考える契機を与えてくれました。
欧州人のデザイナーは、より直感的なユーザーインターフェースの重要性を盛んに説いていました。それは当然です。誰も反対しないでしょう。そこで、ぼくが思ったのは、「日本人が語る直感と、欧州人が語る直感がまた違うんだよな」ということです。ロジックを前面に出さないながらも、裏のロジックが透けて見えるかどうか・・・。ミラノのインテリアショップのオーナーは、「説明しないと分からないアートやデザインは失格だ」と言います。刺激ある言葉です。しかし、それを言えば、世の中のほぼ全ての作品は失格かもしれません。日経デザインのブログは以下です。「日本の生活文化を欧州へ」というタイトルです。
http://blog.nikkeibp.co.jp/nd/chief-editor/2008/07/182255.shtml

ぼくが、このブログで思ったのは、「伝統的な生活文化」と「社会の変化」を対比するのは、どうもおさまりが悪いということです。何度も書いてきたように、静的な文化というのはありえなく、すべからく動的なものです。静的な二つの文化がぶつかり融合することはなく、細胞の衝突のように、文化は変化していきます。そして、このブログにある以下の部分は、例で言えば、ハイテク製品は文化性が低くて市場投入しやすいだろうという見方と、とても近いところにあります。
「人々の問題を根本から解決してくれるデザインが求められる。これまでに使ってきた製品の延長線上ではなく、選択の幅は広くなるはずだ。伝統的な生活文化に無理に入っていこうと思うより、変化の隙間をこじ開ける方が案外楽かもしれない」






