ミラノサローネ 2010(9)ー奥山さんはフェラーリの人?
Date:10/1/11
チューリッヒのレストラン街を歩いていると、チーズフォンデュを食べさせる店がことのほか少なく、ケバブの店やイタリアンが軒を連ねていることに気づきます。スイスの看板料理は観光客向けといえます。ワインリストにカリフォルニアやチリのワインが載っているのは、多くはイタリアやフランスのレストランではなく、英国など自国のワインに乏しい国です。日本カーメーカーが販売戦略に苦労するのは、英国やベネルクスではなく、自国にメルセデスやBMWあるいはVWを抱えるドイツです。このように国際競争力に弱い製品しか自国にない市場はメーカー世界攻略の標的になり、強い製品をもつ市場にあえて立ち向かうのは、「味をよく知る困難な市場を制覇する」ことでブランドをあげるためです。

航空機でボーイングとエアバスが熾烈な戦いをするのは、派生する多種の周辺状況にもよりますが、基本的には譲り合えない事情がある、つまり覇権や威信の問題があります。「エアバスがこの技術を採用している」という威力は大きいですから、全体的な産業力の指標になります。日本が米国に難癖をつけられるのは、往々にして防衛産業との接点に意図的か意図的ではないかを別に「虎の尾を踏む」時と言われます。話のレベルはぐっと変わりますが、ミラノにフランス料理のレストランがないのは、イタリア人の保守性と一言で片付けるより、「虎の尾を踏む」的なところがあります。フランスと絶対的な差別化を図れる分野で譲れない、という観念が消費者側にも大きいかもしれません。また、フランス料理をイタリアでやるなら、高価格帯を狙うことになりリスクが高いこともあります。ですから、そのかわりフランスではイタリア料理の比較的安いカジュアルさを売りに出来ます。
かように、市場と製品の棲み分けは一律にルールを語れませんが、第一にいえることは、自国で作っていない製品に対する外国製品の受け入れには抵抗が少ないという事実です。ワインもそうですし、PCなど既にそうです。ジーメンスやオリヴェッティブランドがオフィス機器で強かった時代が去った後、台湾のACERはほとんど問題なくヨーロッパで受けいられたといってよいでしょう。ジーメンスやフランスのアルカテルにLGやサムスンが携帯電話市場で勝ち、ノキアはその上のポジションを維持しています。レクサスが売れなくてもプリウスが売れるのは、ここに要因があります。日本市場でヒュンダイやサムスンが日本で苦戦せざるをえないのは、このルールの逆からの証明になります。多分、日本のコーヒーメーカーがイタリアで売っても惨敗するだけです。

すなわち第二に、自国製品があるということは、その製品に対するリテラシーが高度になっており、製品にまつわる価値体系が独自に出来上がっていることが多いと言えます。それは、日本語でならかなり曖昧な心境を表現できるが、外国語である場合は心持の直裁的な告白になりやすいことと同じで、価値体系が母国語で成立しているとみなしてよいです。ある世界でもリーダー的な製品を作る企業が自国にあるのは、思った以上に影響力が大きく、その企業に関するニュースが頻繁に報道され、それを企画し作る人が身近にいることで伝わるメッセージは、リテラシーの向上に貢献します。
ピニンファリーナでチーフデザイナーだった奥山さんのことを日本ではフェラーリで働いていた人のように書く記事が多いですが、ピニンファリーナはトリノのカロッツェリアとして独立企業体であり、フェラーリは重要なクライアントではあるでしょうが、クライアントの一つなわけです。横浜の独立一デザイン事務所がフェアレディZをデザインし、日産の会社と言われるようなものです。これらの事情を常識として知っているかどうかで、フェラーリのデザインへの見方も変わってきます。

しかしながら、この価値体系は常に変貌し、そのスピードは熾烈な国際競争のなかでいや増すばかりであるというのが第三です。カーナビは1990年代、日本メーカーが先行し、2004-5年あたりまで、独壇場でした。しかし、その独壇場の意味は、世界制覇していたということではなく、主要市場が日本であり、ヨーロッパや米国に輸出はしていましたがナビ市場としてブレイクしていたわけではありませんでした。2004年頃、オランダのトムトムがポケット型PNDを市場投入したことで、ナビ市場が世界にできたのです。米国のガーミンとともに、現在、60%を越える市場をもっていて、日本メーカーが主流としてきた7-8インチのオンダッシュ型はライン装着以外は隅に追いやられ、アフター市場の95%以上はPNDになったわけです。日本メーカーがPNDに力を入れ始めたのは、この数年です。そこで日本のユーザーはオンダッシュ型に対するリテラシーは高いが、PNDについては低く、後者に対する価値体系の確立には遅れをとっています。
ここで第四点を挙げれば、自国製品がなくリテラシーが低いと思われる人たちも、その状況を仕方なしに受け入れているのであって、完全な商品などないとは承知しながら、「こうであって欲しい」という希望や不満は常にあります。だから、国際競争のお陰でその不満が解消されることを良しとします。日本製の携帯電話には不満だったのが、サムスンの携帯電話で問題が解決されるのであれば、それはそれで自国に携帯電話産業をもたないユーザーにとっては何も関係ないわけです。したがって、価値体系の変貌スピードは、少数の国際覇権的企業同士の戦いになればなるほど、早くなります。

一方、家具や生活雑貨を眺めた場合、さほど電子商品ほどに国際競争力にさらされていないようでいて、実はそうではないという状況でしょう。IKEAのライフスタイルは中間的なポジションにあった家具の存在感を叩き潰し、ファッションでいえばZARAがH&Mはイタリアのタブーカラーであった紫色を流行色に変えてしまいました。ここにも二極分化が生じていて、伝統的な価値体系とインターナショナルな価値体系の二つがより際立ってきています。しかし、中間は壊滅的になっても両者は強く屹立するでしょうが、これも時間の問題であり、中間的価値へのより戻しー普通の価格の普通の品質ーも既に起こっていると思います。どの方向性も並列してあるという意味です。一橋大学の石倉洋子さんもいう「ORからANDへ変える」時代です。
よって、ミラノサローネの出展を考える場合、どの市場のどの製品群でどの方向性を的に絞るか?によって、ストーリーは全く違ったものになります。漠然とした「世界」を相手にするのではなく、ベルリンに住む30才の金融機関に勤めるサラリーマンか、ロンドンに住む40歳のアートギャラリーのキュレーターか?をよく考えることです。二人の存在を全体状況としてANDで結んでみながら、そのうえでどちらかに絞ってみるのです。
尚、ブログ「フランスの日々」に「日本色の付いた技術ではもう勝てない」というエントリーがあります。日本市場をスタート地点として次に海外市場というステップの誤りを指摘しています。扱う技術や製品によって違いますが、このブログの内容のような対象を自分が相手にしているのかどうかを冷静に見つめることも大切でしょう。






