僕自身の歴史を話します(25)ー品質が語るもの

ビトッシでは同じ製品を世界中の国に出荷しています。(23)と(24)で紹介したような品質内容に関して、「どうにかできないか」と相談してくるのは日本だけだと言います。だからビトッシは全てを日本市場の声に合わせるわけにもいきませんが、かといって全く無視するわけにもいきません。少なくても、日本からの声を「品質改善要望」とは受け取らず、ビトッシはこれをいわば「ローカライゼーション要望」として受け止めるのです。彼らは彼らの文化に沿って作り、そして大半の市場はそれをそのまま受けてくれるわけですから、そのようなロジックは当然でしょう。すると、どこでローカライゼーションの線引きをするかが焦点になります。

一方、商品を売るというのは、そのモノだけを売るのではなく、それを取り囲む文化全体を知ってもらい楽しんでもらうことだ、という考え方の妥当性を聞いてきます。 もちろん、そのことはメトロクス東京の片岡氏もよく分かっており、だからこそストーリーの作り方に頭を捻るのです。例えば、デザインショップの棚に商品が陳列してあるのではなく、イタリアンレストランの中においてあり、それをそのまま売るのであれば、異文化の文脈を違いとして受け入れるでしょうか。仮にそれで問題が解決されるなら、どうしてデザインショップでもオンラインでも、その文化をもっと伝えないのかという反省がでてきます。

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輸入品というのは、運送費やその他もろもろのコストが積み上がり、どうしても生産国市場での売価より高くなります。生産国での価格帯より高い価格帯となり、そこで品質への期待も上昇する運命にあります。ですから生産国における文化を伝えるといっても、売るシーンが違ってくることも考慮に入れないといけません。しかし、それでもコアの部分は同じです。楕円も円も同じ円とみるか、それは形状が違うほかのものとみるか、そういうのがコアです。イタリア文化の傾向からすれば、前者を採用する人も少なくないと言えるでしょう。これをどうやって具体的に伝えていけばよいのか、それはそれでまた頭痛の種です。大切なのは、どれを取るか、その立場あるいは考え方をはっきりさせていくことだと思います。そこを曖昧にし続けると、全てのメッセージが伝わりにくい。そうぼくは個人的に考えています。

そのうえで、この文化の違いを伝えていくことを諦めてはいけないと思っています。「仕方がない」「面倒だ」と諦めるのは、退歩にしかなりません。色々な価値観や視点が存在することが、社会的な豊かさに繋がっていきます。そして、新たな変化への契機を作るでしょう。

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Category さまざまなデザイン, 僕自身の歴史を話します | Author 安西 洋之