ミラノサローネ 2010(7)-ジェフリー・アーチャーの世界
Date:10/1/4
あけましておめでとうございます。
今日は新春記念ということで(?)、ミラノサローネとブックレビューを一緒にしましょう。
年末から年始のネットを眺めていて、思うことがありました。日本でこれだけ大掃除や御節や年始の挨拶など、かつての「決まりごと」が崩れてきているにも係わらず、完全崩壊には至っていないことをあらためて思いました。その例としての「時間感覚」です。今やTwitter的ネット感覚では分が「新鮮度」の分岐点であるのに、かなり多くのブログで大晦日の夜10時頃に「今年もお世話になりました」という年末の挨拶をアップロードし、その数時間後の元旦には「謹賀新年」と書いています。RSSリーダーを、大晦日の夜から元旦の朝にかけて数回にわたってチェックする人たちがメイン読者であるとは思えないブログの場合でもあっても、です。
Twitterがモバイルのリアル感覚を表現できるに対して、ブログは日単位の感覚があるメディアであると思いますが、そのブログにも数時間差で「年末の挨拶」と「年始の挨拶」を形式通りにアップさせておきたいという拘りが出ています。年が変わることの「神聖さ」がまだ重要な位置を占め、「今年こそよい年になるかもしれない」という希望を抱ける。「過去を水に流す」ーあるいは「流せる」ーという文化があるから、忘年会があるわけです。この性格の良い点は、いつどんな場でも希望がもてることで、悪い点は、悲観的になるのも早いことです。つまり、過去を水に流すから、過去に作った構築物が生きないのです。よって「あれだけ、やったけど、何にもなっていない・・・」と思い勝ちになり、曖昧な悲観論がより多くなります。

前書きはこの程度にします。
この正月、ぼくはジェフリー・アーチャー『誇りと復讐』を読みました。ご存知のように、この作家は1970年代、英国下院議員時代に架空の油田会社に投資し全財産を失いますが、その経験をバネにして書いた『百万ドルを返せ』のデビュー作で借金を返済します。その後も、スキャンダルで再度政界を退くはめになったり、60代になって偽証罪で刑務所に入ったりしますが、そのつど、復活します。この『誇りと復讐』も、彼の刑務所で過ごした経験がふんだんに生かされています。この種の彼の作品では、主人公が時間とともに精神的能力的に発達するのが特徴で、過去を戦略的に水に流すことはあっても、心性としては過去を「構造的」ーあるいは立体的ーに扱います。そして、これが精神的タフさだけではない説明がつかない復活劇を作る要因になっています。
およそ、彼の小説はハッピーエンドであり、複数の登場人物を同時並行して追い、各場面に逆転の展開の罠が入っています。あるパターンが分かると、もしかしたら飽きがくるかもしれません。しかし、イアン・フレミングの007シリーズが何故あれほどヒットしたかといえば、そのパターンが作る世界であり、ジェフリー・アーチャーの場合も、彼のワールドに刺激ある心地よさを感じるから、彼の小説はどれもベストセラーになります。このパターン化を非難するのは簡単ですが、実は、そのパターンにこそブランドの威力の真髄があることも理解すべきです。ジェフリー・アーチャーの話しのリズムや展開に嵌る、その「嵌る」先に魅力のエッセンスがあります。

ところで、ある作家の作品で5冊以上の代表作をもつ人はあまりいないでしょう。トルストイであれ、スタンダールであれ。シェイクスピアは非常に例外的な存在です。普通、どこかに類似作品があり、それらが結果的に代表作の「隠れた味」を表現していたりします。これは文学に限らず音楽家においても同じで、ベートーベンであってもショパンであっても、誰でもその作曲家と音楽の題名がリンクできるレベルにある代表作は、五本の指で数えられるでしょう。村上春樹の作品をそれなりの数を挙げられるとすれば、それは単純に「同時代作家」であるという理由によります。夏目漱石の小説を朝日新聞の連載で読んでいた人は、今、漱石の作品を読むより、もっと多くのことが読み込めたでしょう。しかし、同時代であったからこそ、読み込めなかった部分も同時にあります。これが遠近法のよさです。ある現代作家をリアルに追うことで、作家の構造を駄作も含めて自分なりのやり方で構築でき、これを過去の作家へのアナロジーとして使えるわけです。
ここで最後にミラノサローネに話しを移すと、ヨーロッパの人たちは、なるべく文化価値体系であれ、デザインのそれであれ、より構造的に見ようとする傾向にあります。一つに自分たちのヨーロッパ文化の体系が比較的構造的であったことが、このような目を育てていることがあるでしょう。それと似たことは日本でもイタリアはミケランジェロに代表させ、オランダはレンブラントで語るというようにありますが、ヨーロッパ人はより少ない情報と知識で日本を見ていることを肝に銘じないといけません。しかも、それを構造化したいという習慣は捨てきれない。銀閣寺と秋葉原とロリータファッションとプリウスでどんなイメージができるでしょうか? 「グーグルで知る世界の落とし穴」で書いたように、日本をリサーチしてみてください。フランス版、イタリア版、ドイツ版など複数のグーグル画像検索でそれぞれの言語で日本をキーワードに入れて20-30ページくらいみると、どんな日本イメージが普及しているのかがある程度分かります。それぞれの国の人達が、それらをどう構造化ー立体化ーするか、そこに「〇〇ワールド」を見つけてみてください。「日本らしさ」の自己検証にもなります。






