池田律子/廣瀬智央『旅して見つけたイタリアの保存食レシピ』を読む
Date:09/12/27
食も技術の発展と無縁ではないことは周知のことでしょう。しゃぶしゃぶは冷凍技術の普及によって可能になった料理ですし、何よりも、スーパーに並ぶ数々の加工食品を一瞥すれば、技術と縁がないと思うほうに無理があります。レトルト食品が日本ほど普及していなかったイタリアにおいてさえ、この数年、その数は増加の一方です。消費者が時間を買いたいという欲求を強くもつようになっているだけでなく、「もちろん手作りほどの良さはないが、まあまあ、食べられる」ということがあります。「食べられる」理由は、消費者の味に対するレベルが低下しているーぼくのイタリア人家庭での食事経験によれば、世代が下がるにしたがって味のレベルが落ちている。しかし、それを作っている本人が承知していることもある。「やはり、マンマの料理には適わない・・・」と弁解する!ーだけでなく、技術の進歩の恩恵にあずかっています。
そのイタリアにおいて、特にミラノのような都市においてさえ、トマトと瓶を大量に買い込みトマトソースを作りおきしておくという習慣がまだまだ生き残っています。もともと保存食というのは、環境や季節の制約からきたサバイバルのための技術と知恵の結晶です。例えば、秋のうちに野菜を何らかの形で調理を施し保存しておくことで、冬の間にとることできない野菜を摂取することを可能にします。漬物は、この一種です。レトルト食品は現代における保存食ですが、塩漬けやオイル漬けなど歴史を遡っていける保存食は、今の普通の生活では「視覚化されたもの」と「視覚化されていないもの」に分けられるのではないかと思います。オリーブのオイル漬けなどは視覚化されていますが、料理の隠し味的存在で目に見えにくいものもあります。
技術ー例えば冷蔵技術ーの普及のおかげで、かつては人が生きていくには必須であった保存食が、今や「絶滅種」に近かったりするのですが、そこに見知らぬ人間は大きな発見し、そこに忘却の彼方にあった深く埋まっていた価値を引っ張りだしてきます。レストランを食べ歩いているだけではなかなか見えてこない世界です。地方の農家に泊まり、生活をともにして、何気なく台所の棚にあった瓶をみて「これ、何なの?」という質問から広がる世界です。そういう意味でも、「視覚化されていない」知恵の宝庫ともいえます。つまり保存食を知るには、二つの軸を渡り歩く必要があり、それは地域と時間の二つです。いろいろな地方を歩き、いろいろな人との出会いを重ね、いろいろな話しに耳を傾け、いろいろなディテールに目を凝らし、その世界の輪郭が見えてくる、そういう性格のものだろうと思うのです。
そして現代は、その過去の遺産を失いつつある ・・・しかも、特に日本の食卓がそうである時に、イタリアの保存食を日本で知るのは、レシピを知るだけでなく、その保存食を取り囲む一連のコンテクストに想像を馳せることであります。スパゲッティがアルデンテであるかどうかを語るだけでない、より上級レベルのチャレンジ精神を要しますが、言ってみればライフスタイルの再考を図ることになります。また、日本で普段食べているイタリア料理が大変な航路を辿ってきたーその最中には、蛇行することもあったし、座礁の危機にも瀕するなどの苦労を経てきたー末のものであることが、保存食の世界を覗くことによって一瞬にして会得することもあるでしょう。
本書は、ぼくの友人、アレキサンダーの農園を舞台にして作られたものです。以前、紹介したYouTubeにのせた動画『オリーブ農園の一日』をもう一度貼っておきましょう。






