ミラノサローネ 2010(4)ー和服を着ないドレスコード

プリウスがどこでも販売好調と聞きます。ヨーロッパも例外ではありません。環境適合車へのインセンティブ効果が当然ありますが、ここではレクサスとの比較でみてみます。レクサスもハイブリッドタイプに人気があるようですが、プリウスとレクサスを分けるものは何でしょうか。レクサスについて、L-Finessというデザインコンセプトが、コア部分に多くの日本人にも良く理解しかねる暗黙知や美ー世阿弥の『花伝書』からヒントを受けているのではないかと想像しますがーで構成されている点がヨーロッパでのアピールとして不適切であると指摘しました。ドイツの高級車をモデルとして思い描く人たちに、このL-Fineessを提案することは、フェンシングの試合に剣道の姿で立ち向かうようなものです。剣道が悪いのではなく、ドレスコードが違うとしかいいようがありません。

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ヨーロッパの人の集まるパーティで自らの存在感を伝えるために、和服を着る日本人たちがいます。それはそれで良いのですが、これはあくまでも、その場限りのパーフォーマンスという色彩が濃いでしょう。

「が、文化を伝える必要十分条件とはなりえない。だいたい、文化を伝えるのはわたし個人である。しかし、そこに十分な自信をもてない。それで精神的に和服という誰でもわかるコードーそして、もちろん美しいーに頼りたい。そういう成功例も数多聞いてきた。だが、それは下手すると、違った土俵に上がって、基準の差異を不明瞭にさせるという目くらまし作戦と解釈することも可能だ。まあ、でも、それでもやってしまえ!」

乱暴な言い方かもしれませんが、どうも、このメンタリティの延長線上にL-Finessが見られてしまうのではないかと思うのです。真正面から勝負を挑んでいない弱さ、そういう様子が窺えてしまいます。特にマッチョなイメージがあいかわらず重要な高級車市場ーしかもドイツのロマン主義の影響が強いーで、もともと中性的なイメージー特にインテリアーがあるレクサスが、その弱さへの自己弁護をしているように思えるのですー少なくても、ぼくの目には、そういう印象を少なくないヨーロッパ人に与えているように思えるー。

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一方、プリウスは全く別の文化で戦っています。ドイツのロマン主義とは異なる、ヨーロッパであえて近いところを探せば、シトロエンのサスペンションに代表されてきたフランスの先端的合理性の地かもしれません。人工衛星やロボットが、その機能性能自身で新しさを感じさせたーあえて過去形を使うーと同じような次元にあるクルマだと思うからです。NASAのアポロ計画で使用されたオメガは、その実績によってより強力なブランドを獲得したわけですが、そこにはロマン主義的な余地がありません。なぜなら、月面に立つことを前提にはじめから企画した時計ではありません。NASAに選ばれ、月に向かい、そこに結果としてロマンが漂ったのです。

プリウスは世界で初めてのハイブリッド車としてデビューし、環境を意識する人達のシンボル的存在としての役割を担うことができました。ここで、いわばユニバーサルな価値とイメージを構築できたので、レクサスのように、あえて「日本の技術」ーL-finess は日本というイメージを視覚的に使わず、ロジックで使ったのですーである主張をする必要などなかったのでしょう。

和服を使う。その必然性がないところでの和服は、逆効果です。しかし、生活雑貨的なジャンルで、極めて一部の層をマーケットとするのであれば、和服もよいでしょう。だが、和服を持ち出すのは、日本の文化価値体系を語るに明らかに貢献すると確信がもてた時で、まずは作品自身のコンセプトの説明を「説得的」に行えることを優先すべきと考えたほうがいいです。和服を「逃げ」に使ってはいけません。何回も書きますが、その発想の裏にあるメンタリティがみられることに注意してください。

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Category ミラノサローネ2010 | Author 安西 洋之